３１・プレゼント（後編）
地の食材と調理法を駆使して作られたビサイドの料理はお世辞抜きで美味しかった。
当に堪能させて貰ったと言って良い。
味より量に満足そうなのは、隣に座っている大食漢。
食事の手配をしてくれたユウナが唖然とするくらい、ギップルは良く食べた。
「美味かったぁ…」
鍋の底にも何も残らないくらいに食べ尽くして、満足そうに腹を擦っている。
人様の家でそこまで食べられるのは臆面も無いとしか言いようがない。
一緒にいる自分の方が恥ずかしくなってしまう。
「少しは遠慮しろ。莫迦」
「だって美味かったし」
嗜めてみるが、本人はあっけらかんとした様子だ。
「だからって…」
パインは顔を顰めながら、ユウナが煎れてくれたさっぱりとしたお茶を飲んでいく。
口の中に残った強い香辛料の後味や油っぽさが和らいでいく気がした。
「…結構お似合いッスね」
「だから言ったでしょ？」
さり気無く聞き流しそうになったティーダとユウナの会話が示した意味の気が付いて、パインは息を飲む。
お茶を飲み込んだ後で本当に良かったと思った。
今のギップルとのやり取りのどこをどう取ったら…「お似合い」になるのか理解不能だ。
「最初聞いた時は、正直言って意外だったッスよ？」
「私は今でも思うぞ？」
その瞬間、ゲホッ…と吸い始めた煙草の煙に咽た男が約一名。
何か反論したかったようだが、どうやら咳が止まらなくなったらしく…苦しそうに喘いでいる。
それを眺めながら、リュックが愉しそうに笑いを立てた。
「そりゃねえ。パインにいつ愛想尽かされてもおかしくない奴だもん」
「本人目の前にそれを言うかあ？」
漸く咳が治まったギップルは不満そうにぼやく。
「だって…」
「パイン先生。俺の事嫌いになった？」
懐疑的な眼差しが涙目なのは、先程咳き込んだせいだろう。
でも、そこにある不安そうな色は本物のような気がした。
だからと言って、人前で問われる居心地の悪さと気恥ずかしさは拭えない。
「こんな所でそんな事を訊くな。莫迦」
「そうやって照れるって事は好きって事なんだよな？」
途端に、悪戯っぽく綻ぶ一つだけの瞳。変わり身の早さに騙されたような気がして、悔しくなる。
「勝手な解釈をするなって言ってるだろ？」
「照れない。照れない」
「いい加減黙れ。この大莫迦」
二人にとってはいつもの応酬にティーダが驚いたように瞳を瞠り、ユウナがクスクスと笑い出した事に気がつかなかった。
ただ、リュックがうんざりげに溜息を付きながら零した台詞だけが、確かな言葉となって耳に飛び込んで来た。
「あ〜ヤダヤダ。イチャ付くカップルがもう一組だよ」
常夏の暑さが一層増した気がしたのは気のせい…だろうか。
………
「ホントに帰るのか？」
リュックが突然セルシウスに戻ると言い出したのには驚いた。
不要だと言われたが見送りに村の入り口まで出たところで、パインは改めて訊いてみる。
「そうだよ。明日の午後にルカでお仕事あるんだもん」
数日の休暇の為に依頼処理シフトに偏りが出ている事は承知している。
二人揃ってビサイドに顔を出したのだから、急ぐ仕事ではなかったのだろうと思っていた。
「リュックは何の為にビサイドに来たんだ？」
「ユウナを送りにだよ。ホスト役は残して行くから安心して」
「別に、必要ないんだけど…」
「ユウナもちょっとした里帰りみたいなものだし。無理して付き合わなくても大丈夫だと思うよ」
そうすればユウナもティーダとの余暇を楽しむ時間が出来る…と言いたいらしい。
こちらとしても、大袈裟に盛り上げられても困るので正直助かるところなのだが。
「でも、それじゃ…リュック一人が貧乏クジじゃないのか？」
「確かにねえ。でもここにいるのも何だしさ」
「どうして？」
問い返すとリュックは態とらしく眉間に皺を寄せて、あからさまに溜息を付いた。
「あのねえ、パイン。目の前でカップル二組にイチャイチャされたら身の置き場に困るの。分かる？」
別に、イチャイチャしているつもりなど全く無いのだが。
もしかしたら、自分たちはユウナたちと同格に見られているのだろうか。
それはかなり嬉しくない誤解だ。
返答に困った事が分かったのか、リュックはクスッと小さく笑いを零した。
「パインは照れ屋さんだからなあ。でも、ちゃんと言わなきゃ本心は伝わらないよ？」
鮮やかな緑の瞳が愛らしく、それでいて…どこか出来の悪い幼子を諭すような微笑を浮かべた。
パインはそれこそ何と答えて良いのか分からなくなってしまった。
そんな様子を見かねてか、リュックもう一度笑ってポンポンと肩を叩いてくる。
「お土産話、期待してるからね」
軽やかに身を翻して、パタパタと駆けていく小柄な後姿。今日の名残の陽に染まった金の髪が揺れていた。
彼女が残したものは、とても単純な事でありながら容易ではない助言だった。
「ホントに帰ったのか？」
ティーダと酒を酌み交わしているところに戻ってきたパインに念の為に訊いてみた。
「ああ。明日ルカで仕事があるからって…」
ギップルは思わず首を傾げそうになった。
パインの為に…なんて張り切った事を大仰に言っていた割には、あっさりと身を引く辺りがどうも引っかかる。
しかし、口煩い小姑がいなくなれば後はこっちのものだ。
「パイン先生もどう？ビサイドの酒も結構美味しいッスよ？」
ティーダの勧めに応じて、パインは用意されてグラスを受け取った。
一口舐めるように舌で味わうと、ちょっと驚いたように緋色の瞳が瞬く。
「…美味し」
溜息のような感想がふわりと笑みを描く唇から零れ落ちた。
普段はどこか冷ややかさを纏う面差しが緩んでしまう程の美酒。
独り占め出来ないのは残念だが、これはこれでティーダに感謝…かもしれない。
「そう言って貰えると用意した甲斐があるってもんッス」
「底無しに飲むこいつには勿体無いくらいだな」
「どうして俺を引き合いに評価するんだよ」
しかも決して褒められた表現ではない辺りが面白くない。
「分かり易いだろ？」
「確かに」
「お前、同意すんな！」
ティーダは可笑しそうに笑いを立てながら、詫びのつもりかグラスを満たしてくれた。
そこへ、用事を済ませてくる…と、暫く席を外していたユウナが顔を覗かせた。
「なあに？楽しそうっすね？」
「あぁ…ユウナ。用事は済んだ？一緒にどう？」
ユウナはそれに答えようと口を開きかけたが、半分程空いたボトルを目にすると、
色違いの瞳に嗜めるような色を乗せてティーダを軽く睨んだ。
「もう！あまり飲ませちゃ駄目だって言ったでしょ？」
「まだ半分ッスよ？」
「ロッジに帰る道は危ないところもあるんだから、駄目」
「大した道じゃないから大丈夫だよ」
パインはタイミング悪くグラスが空になっている。
美酒を目の前にお預けを食らいそうな気配を察知したらしい。
「だーめ！」
ユウナは伸びかけていたパインの手の前にボトルを取り上げると、胸に抱いて死守のポーズをとった。
「…ケチ」
拗ねたような子供っぽい呟き。それがパインの口から出て来たのだから驚いた。
面食らったのは俺だけではなかったようで、ユウナもティーダもパチパチと忙しなく瞬きを繰り返す。
「ケ、ケチって…ねえ」
ユウナは何か言い返そうとしたらしいが、力なく吐息へと変ってしまう。
「パイン先生。もう酔ったッスか？」
「全然？何でだ？」
「何か、可愛いッスよ？」
緋色の瞳がきょとんと見開かれ、ややあって怪訝そうに眉根が寄った。
「ティーダこそ、酔ってるんじゃない？」
…いや、間違いなく今のは可愛かったぞ。
………
気に入ったのなら持って帰って良い…とのお許しに、パインはご満悦の様子で量半分程の瓶を大事そうに抱えていた。
その仕種が子供っぽくも可愛らしくて、素直過ぎる口が何度も滑りそうなるのを堪えるのが…また大変だった。
手元が狂ってボトルを落とされでもしたら、結果シメられるのは自分なのだ。
転ばないように注意を促しながら手にしたランプで足元を照らして戻ってきたが、その必要は無かった。
半分に欠けた月の明かりでも足元は充分に見えた。
闇が濃い分だけ、微かな光でも冴える。
ロッジに戻って、ランプは消してしまった。
海原が弾いた月の光が充分に室内を照らしていたから。
テラスに座り込んで二人酌み交わす時間は例えようも無い程に甘い。
「来て良かったか？」
どうしても訊いておきたかった。問うべき言葉を摩り替えて。
苦味を帯びた問いを飲み込むのにパインは幾許かの時間が必要だったようで、怪訝そうにこちらを見ていた。
ややあって、微苦笑を返してくる。
「さあ…ね。まだ休暇は始まったばかりだろ？」
相変わらず、相当手ごわい御仁だ。
でも、この瞬間…触れ合う程の距離にいる事が答えなのだと思おう思った。
真下から湧き上がってくるような優しい波音。
凪いだ海が月明かりを弾いて淡く煌めく様は切ない程に綺麗で。
「ここは…何にも無いんだな」
金色とも銀色とも付かない漣は遠い北の島を思わせる。
絶えず変化し続け、そして変る事のない光景。
「…そんな風に見えるだけだろ？」
耳に心地良く響く声が思いとは違う答えをくれた。
パインは小さく微苦笑を零し、味わい深い美酒を傾けた。
それが必ずしも正しい訳ではないだろう。でも、彼は一面が全てではないのだと教えてくれる。
何も無いように見えてしまうのは、己が何も持っていないからではないだろうか。
…いつだって、与えられてばかりだ。
自身に何が返せるのかさえ分からない。それがもどかしくて、時々切ない。
それは彼だけに対してではない。己を取り巻く全てにだ。
自分は誰かの力となり糧となる事が出来ているのか…分からない。
己があまりにも無力のような気がして…
不意に奇妙な響きが波音を切り裂いた。異変を感知した体が小さく震える。
反射的に音のした方向へと視線を向けた…その瞬間。
「えっ…？」
誰に問いた訳ではない。
それが何であるか知らないはずはないのに、分からなかったのだ。
闇の宙に大輪の閃光が弾ける。
重低の音に続いて、パラパラと爆ぜる響きが体を突き抜けていく。
襲う衝撃は一度や二度ではなかった。
宙に舞い上がる小さな光たちが虚空に消えたかと思うと、次々に華を咲かせていく。
私はただ、唖然とそれを見詰め続けた。
「…やってくれる」
苦さにも似た響きを織り交ぜた声に振り向くと、苦笑を浮かべたギップルが眼差し遠く…空を見詰めていた。
「ギップル？」
「こんな荒業持ち出しやがって」
幾度と弾ける閃光がどこか悔しげに呟いた横顔を強く浮かび上げる。
くっそ〜！やられた！…と思わず叫んでしまいそうだった。
誰の仕業なのかなんて、考えなくても分かる。いや、この大技を誰か一人の単独で行うのは難しい。
どこまでの協力を取り付けたのかは分からないが、動いたのは…あの二人だろう。
シドの娘が帰ると姿を消したのも、ユウナ様が深酒をさせなかったのも。
この為だったのだ。
彩色豊かな…鮮やかな大輪の華が闇を光で染めていく。
遠くから幾つものどよめきと歓声が聞こえてくる。
彼女たちが一番喜ばせたかった人は、相変わらず呆けているけれど。
「花火やるなんて、聞いてた？」
知っていたら悔しい気分になんてなるものか。
「ニギヤカ好き連中のサプライズだろ？」
一瞬瞳を瞠ったパインは、弾かれたように空を仰いだ。
華から零れ落ちていく沢山の光の雫が尾を引いて…闇に溶ける。
まるで降り注ぐ雨を描くように。
陰影濃く浮かび上がる横顔が、ゆっくりとゆっくりと表情を変えていく。
沢山の感情が入り混じっている、ぎこちない口許の微苦笑。
「もう、こんな大袈裟な事するなよな」
やっぱり零れ落ちたのは文句だったけれど。
投じたままの眼差しが潤みを帯びているように思えるのは、鮮やかな光のせいだろうか。
「パイン先生。愛されちゃってるねえ」
悔しいけれど、俺以外のヤツらからも。
少し尖った唇が微かに何か呟いたようだったが、響き渡る轟音に掻き消されてしまった。
何を言ったかは何となく想像が出来た。
素っ気無くて、優しくて。
綺麗なのに、時々可愛らしくて。
纏う強さも抱える脆さも、その存在全てが惹きつけて止まない。
仲間たちのど派手な贈り物は思いの外お気に召したようで、パインは夜空を彩る華を見詰め続けている。
どこか照れ臭げで、切なそうな微笑を浮かべて。
終
無駄になが〜い話になってしまいましたわ（汗）前中後編にしようとも考えたのですが、終わりが見えなくなりそうでヤメました。
結局何が書きたかったかって？パインたんは皆に愛されちゃってる…と言う話（苦笑）
今回はおまけ付き
お題31・プレゼント（後編）：２００５０８２２：シアーズ