Evening glow，Small glow


「ホント、同情するよ」

　軽い溜息混じりの呆れ声。
　その言葉が指しているのが己でない事は充分に分かっているのだが、思わず口許が緩んだ。

「そうか？」

　相槌とも付かない曖昧な答えに、パインは柳眉をピクリと跳ね上げて顔を顰めた。

「少しは悪いと思わないの？」
　彼女のお小言は今に始まったことではないが、あの頃よりも小気味良く聞こえるのは気のせいだろうか。

「実務に支障をきたしたことはないぞ？」
「それは、あんたをフォローするルチル隊長以下…部下が優秀だからだろ？」

　木造の桟橋から投げ出した脚をプラプラとさせながら、彼女は澱み無く皮肉を漏らす。
　夕刻の彩に染められた水平線へと眼差しを投じたまま。

「思うんだがな…」
「優秀な人材が集まるのは盟主の人徳。…なんて言うなよ？」

　見事先回りをされた台詞を悔しくも思いながら愉しくも受け止めて、ヌージは小さく肩を震わせた。
　パインはチラリとこちらを窺って効果がなかったことに気が付いたらしく、再び嘆息した。


　凪いだ海が日の終わりの光を淡く跳ね返していく。
　空を巡り落ちる夕陽は常に同じであるはずなのに、世界を彩るその色は記憶のものとまるで違う。
　遠くで水面が跳ねる音がして、小さな影が躍った。


「…ねえ、ヌージ」

　いつの間にか沈黙が満ちていたことに、声をかけられて初めて気が付いた。

「何だ？」
「明日も晴れそうだね」

　他愛の無さを装った違う意味の言葉なのか
　もしかしたら本心からそう思っているのか。
　ヌージはどう反応すべきか迷った末に、当たり障りのない言葉を選んだ。

「明日はキーリカで仕事なのか？」
「半分当たり。朝一番で飛ばなきゃならないんだ」

　小首を傾けるように向けてきた顔には微苦笑が浮かんでいた。
　朱金に縁取られた面差しは歳月の流れを映しながら、それでもあの頃と変わらない微笑み。
　瞳の奥で悪戯っぽい光が微かに躍った。

「含みを感じるのは気のせいか？」
「残念ながら気のせいじゃない」

　嫌な予感が過ぎったことを見抜いたかのように、笑みが深まる。
「…依頼主はルチル隊長を筆頭に優秀な部下数名、あと…新エボン党の議長も一口」

　挙げられた名に、改めてどんな内容の依頼であるか聞く必要はなかった。
　思わず零れ落ちた溜息は鬱陶しさからではない。
　ただ、呆れただけだ。

「大袈裟なことを…」

　パインは、ふふっ…と可笑しげに笑って再び朱の海原へと視線を投じていく。
　陽の余韻に染まる空へと。


　シルエットになった島影を取り籠みながら暮色が満ちる。
　あの時と同じでありながら全く違う世界が、ただ悠然とそこに広がっていた。

「帰ってあげなよ？」

　促すやわらかな声音が残照に溶けていく。

　いざとなったら首に縄を付けてでも送還するつもりでいるだろうに。
　ヌージは曖昧になっていく空と海の境を眼差し遠く見詰めながら、苦笑を刷いた。


終


何となく書きたくなってしまったヌジとの話。
Gratitude of applause2：20060521：sears