The fragrance was felt in the distance closely.


　受け取った書類に紛れていたような、フワリと漂ったかすかな匂い。

　やわらかで優しい、独特な甘さを持つ香りだ。

　どこかで嗅いだことがあるような気がして、バラライはもう一度確かめてみる。
　極力抑えたつもりだったが、小さく、すん…と鼻が鳴ってしまった。
　何気ない素振りで書類から顔を上げると、怪訝そうな赤い眼差しが待ち受けていた。
　やはり聞こえてしまったらしい。

「どうしたか？」
「あ、いや…何の匂いかなって」
「匂い？」

　フレグランスの類であることまでは分かるけれど、表現するには少し難しい。
　花気とも果実の香りともつかない、まろやかな甘さ。

「香水でもつけてる？」
「いや、今日は…」

　辺りへと感覚を傾ける時に軽く目を細めるのは彼女の癖だ。

　ややあって、パインは表情を緩ませる。
　匂いを嗅ぎ分けた、というよりは、何かを思い出したかのような小さな和らぎ。

「…この匂いじゃない？」

　目の前に現れたのは白い手の甲。
　しなやかな指をすんなりと伸ばして、けれど無防備に差し出された。
　いかに彼女が気を許してくれているかが窺い知れる仕種だ。
　彼女の恋人と呼ばれる男とは違った意味で…だろうけれど、目に見えぬ差異など今更気に障ることでも何でもない。

　バラライは優しく掬い上げるようその手を受けて顔を近づけた。

　ラベンダーが仄かに入り混じったシャボンのような香りが記憶を刺激する。
　確か、執務室を出入りする誰かが同じ匂いを持ち込んでいた、はずだった。
　その時は記憶の片隅に僅かな跡しか残らなかったものが、今…鮮明に感覚を刺激する。

「もしかして、ハンドクリーム？」
「当たり」
「いい香りだね」
「そう？」
「うん。僕は好きだな」

　もう一度その香りを味わうように、バラライは恭しく白い手を持ち上げた。
　そして…

　ホッと癒されるような優しい香りのベールに包まれた、その手の甲に、感触の残らない小さな口づけを落とす。


終


匂いって何となくヤラしいカテゴリーだと思います。
Gratitude of applause21：20090204：サイトＵＰ20090804：sears