▼０９・もがいて…もがいて…



　総統括の看板を掲げている立場上…各方面への指示や根回し、協力を取り付けることが主な仕事だが、
頭一つ、身一つではやれることが限られる。
　次々にあがってくる状況報告を聞き、打ち合わせをし、次のステップへと進める段取りが出来上がった頃には
夜半を過ぎていた。

　時間だけ経過するばかりで、状況は遅々として進展しない。
　焦りが満ちてくる中、ちらりちらりと邪念が顔を出し始める。


　…投げ出してしまおうか。
　頭の中にそんな言葉が過ぎったりする。

　…逃げ出してしまいたい。
　腹の底ではそんなことを考えていたりする。


　身に降りかかる事全て受け入れ、容認出来るような器量なんて有りはしない。
　何で自分がこんな苦労をしなければならないんだ…とも思う。
　今まで頑張ってきたんだから楽な選択をしても許されるだろう…とも。

　ただでさえ疲労過多で集中力を欠いている状態なのに、苦行のような文字の羅列。
　ギップルは無意識のうちに溜息を付いていた。
　その途端、傍らにいたラザックが苦笑を漏らした。


[逃げ出したい…って顔にデカデカ書いてあるぞ？]

　生憎とポーカーフェイスを売りにしてはいないから、読むのは容易であっただろう。

[今すぐ南の島に飛んで行きたい気分になってきた]
　溜息混じりに本音を零すと、彼は皮肉っぽく笑みを刷きながら肩を竦めた。
[まあ、お前にはそっちの選択は出来ないだろうけどな]


　思考の奥底でそれが渦巻いているだけで、実際に行動に移すかどうかはまた別だ。
　本気で投げ出す気でいるなら当の昔にここにはいない。


[そりゃそうだろ？投げ出したら今までの苦労が水の泡になる]
[とか言って、ホントは…姐さんに見限られたくないだけだろ？]

　それを言われた瞬間、迂闊ながら少々驚いた。
　思わず、正解…と言ってしまいそうだった。

　そう、結局のところ…俺が今踏ん張っているのは、そんな安直且つ不純な理由なんだろう。
　リーダーとしての立場や責任、組織の為、仲間の為、その他諸々…あるのだろうが、結局のところ自分の為だったりする。

　もし仮に休暇を優先していたら…と、頭の中で何度シュミレーションしてみても良い結末は描けない。
　第一、パインはその決断を喜びはしないだろう。
　それどころか怒ると思う。
　多分、今回以上に…かなり冷ややかに。

　その口調や表情を想像しただけでも胃の辺りがヒヤリとする。
　もしそれをクリア出来たとしても、一緒に過ごしている間彼女が余計なことに思考を走らせることは目に見えている。
　それに…
　全てを投げ出して一時の欲求を満たしても、その終わりが来た時には更なる重みが押しかかって来る気がするのだ。


　自分らしからぬ…かなり後ろ向きな思考に囚われていることを自覚して、ギップルは密やかに苦笑を刷いた。

　…俺だけだったら、もうちょっと気楽に考えられたんだろうけどな。

　そう、自分だけならまだ良い。
　結果がどう出ようと己の選択故の自業自得だから。
　だけど、彼女までもが巻き添えを食らい、結果…思い悩ませることになるのは本意ではない。


　それ以上の想像は愉快には程遠くて、ギップルは溜息に混ぜ込んで吐き出した。
　ラザックはそれ肯定と取ったらしく、くくっ…と喉の奥を震わせて笑った。
[…惚れた弱みってのは厄介だな]

[煩いな]
　余計なお世話だと邪険に跳ね返したが、この男には効き目が無かったらしい。
[まあ、彼女と付き合いだしてから真面目にオシゴトするようになったし、俺としては喜ばしい限りだけどな]

　そんな風に見ていたのかと改めて片腕の男を見やると、彼は口の片端を軽く持ち上げた。
[…最近は、フラリとどこかにいなくなるってのも無くなったし？]

　ギップルは肩を竦めて返すしか出来なかった。
　今でも時々そんな気分になることもある。
　でも、それよりも勝る想いが胸の内にあるから。

[その暇があったらパイン先生と一緒に過ごすね]

　今の自分は、何だ彼んだと理由を付けながら狡さや弱さと折り合いを付けて足掻いているのだ。



[愛のチカラってのは…偉大なんだな]

　聞いた方も恥ずかしくなるような感歎の台詞ではあったが、呆れが含まれている声音だった。
　実際のところ彼の本音はそうなのだろう。

[なんだ、今頃気が付いたのか？]
　茶化して応えると、ラザックはどう見ても態とらしい真面目な顔をして鷹揚に頷いた。

[ああ、今更だけど気が付いた。……姐さんの偉大さにな]
[何だよ、それ…]
[突き詰めればそう言うことだろ？]

　そう言うことのようで、微妙に違うようで、実は相当違う気もした。

[何だか妙なニュアンスを感じるんだけど？]
[気のせいだろ？…ほら、さっさとそれを処理しろよ。待ってたって休暇は来ないぞ？]
　ラザックは軽く笑ってあしらうと、痛いくらいの悲しい現実を目の前に突きつけてくれた。

[へいへい、分かってますって]
　ギップルは溜息を一つ零して、再び文字の羅列へと目を落とした。


　誰の為であれ
　何の為であれ
　ただ望み願うだけでは何も手にすることが出来ないことを知っていたから。



終


話が遅々として進んでおりません（汗）しかも、何もかもから逃げ出したかった頃に書き始めたのでこんな話に…。
ラザック君に巧いこと誘導されてしまったことに気が付かついてないギプ。ちーとももがいておりません(苦笑）
▼09・もがいて…もがいて…２００６１０２２：シアーズ