□０６・予想外の展開
ルカの重鎮連中との駆け引きは普段なら多少楽しめただろうが、今回はそうもいかなかった。
制限時間内に事を上手く運ばなければ全ての予定が狂う。
早々にケリを付けたい自分と、時間の有り余った連中との攻防は苛立ちを極限まで高めた。
プランに賛同してくれている御仁のフォローもあって有利な方向で話は進んでいたが、子供が駄々を捏ねるような抵抗に
いつ声を荒げてもおかしくなかった。
見えないところで何度拳を握り締めたか知れない。
少しでも弱みを見せれば付け込まれるのは目に見えていたから、必死に耐えた。
その時の忍耐力は冗談抜きに褒めて欲しいくらいだ。
八割方の勝利。ベストでは無いがベターなカタチで商談を終えて握手を交わした際に、正直…その手を握り潰してやろうかと思った。
まるで彼らがコチラの内情を知っていたかのように、その時…時計の針は連絡船の出航時刻を指していたのだ。
大事な休暇を台無しにしてくれた連中を見送り、助力してくれた御仁に丁重に感謝を述べ、ルカ常駐のスタッフにジョゼへの連絡を頼んだ。
覚えているのはそこまでで、その後の記憶が飛んでいる。
ギップルは窓の外をぼんやりと眺めながら煙草を吹かしていた。
ヌージの紹介で時折使うようになったそのレストランの個室からはルカの海がよく見えた。
凪いだ碧い海は降り注ぐ陽の光を弾いて纏い眩しいくらいだった。
…良い天気だなあ。
これからどうするべきか考えを巡らせてみるが、妙案は何も浮かんで来ない。
一仕事終えた満足感。蓄積された疲労を伴った脱力感。そして重たく圧し掛かる落胆が思考能力を削いでいた。
頼りにしていたセルシウスは態々時間を割いてジョゼへと駆けつけてくれたようで、羽を休める間も無く飛び立ってしまっている。
次に彼らがルカを訪れるのは、ベルコリナから戻って来たパインを迎えに来る時だ。
幼馴染みの少女はアニキに向かって「石頭なんだから！」と喚いていたが、予定外の針路を取ってルカまで乗せてくれたことだけでも
感謝すべきだろう。
…そうだ。パイン先生に連絡入れなきゃな。
予定が確定したらにしよう…と、今までずっと先延ばしにしてきたのだ。
「後から絶対行く」と訴えても頷いてくれなかった彼女に、それ以上の落胆を抱かせたくはなかったから。
最悪のケースを免れたことだけは知らせておいた方が良いだろう。
一方的なものとは言え、約束を違えなかったことだけは褒めて貰おう。
今更来るのか？と痛烈な皮肉を浴びせられそうだけど。
その声音までも想像出来てしまって、ギップルは小さく小さく笑った。
どうしてだろう。
本当にあと少しで会えると言うのに、何故か喜びは薄い。
今までより遥かに長く思える一日を越えなければならないのだからそれも当然か。
溜息を共に吐き出した煙が晴れた空に吸い込まれるように消えていく。
「…失礼いたします」
突然かけられた声に驚いて振り向くと、この店の店主が緩やかな足取りで入って来るところだった。
彼女がノックを欠いたとは思えなかったから聞き漏らしてしまったのだろう。
「マキナ派からのご依頼で部屋を空けておりましたけど、まさか貴方がいらっしゃるとは思っていませんでしたよ」
店主は淡い苦笑を刷きながら穏やかな口調で言った。
そう思われるのも当然だろう。
本当なら今頃…自分はベルコリナにいるはずなのだから。
彼女はそれを知っていた。
あの島のことを教えてくれたのも、ヴィラを紹介してくれたのも、このご婦人なのだから。
「まあ、世の中には思い通りにならないことが色々あるってこと…かな」
ギップルは苦味を織り交ぜて独り言のように呟くと軽く肩を竦めた。
「そんな時もありますよ。でも、そうでない時もあります」
この人と話をしていると不思議な気分になる。
人に励まされると言うのは何度も経験しているが、柔らかく諭されているような気持ちのなるのだ。
それが妙にくすぐったくて思えて、それでいて抵抗し難い。
「明日の船までぐっすり寝たい気分なんですけど、この時間から泊まれる宿…知りません？」
出来れば格安で…と続けようとしたが、それよりも早く彼女は言った。
「宿を探す必要はありませんよ」
それはどう言う意味かと訝しんでいると、穏やかな微笑みが返ってきた。
「…船は出ます」
思いもよらない台詞に、ギップルは店主の顔を唖然と見詰めてしまった。
ベルコリナへの連絡船は一日一便のはずだ。
今日に限って増便されているとでも言うのだろうか。
「それは、どう言う…」
「ベルコリナへ向かう船は連絡船だけではありません」
「他に船が？」
「ええ。丁度…荷積みを終えるのを待っている貨物船があるのですよ」
「まさか…」
そんな奇跡のような偶然があるものなのだろうか。
ギップルは店主の言葉を鵜呑みに出来ずにいた。
だが、そこにあった柔和な笑みを見詰めているうちに、彼女が言わんとしていることが漸く分かってきた。
船を手配してくれたのが、この人であることに。
理解に伴い胸と頭に溢れたものを言葉で表現するには難しい。
幾つもの感情や思念が同時に込み上げて飽和状態になっていたのだ。
「あちらで荷を待っているお客様がいらっしゃるので積み終えたら直ぐに出航します。お急ぎ下さい」
急くような台詞に膨らんだのは躊躇と戸惑い。
「あの、でも…どうして…」
この人はここまで親切にしてくれるのだろう。
人の善意をあまり疑いたくはないが、どうしても疑念が拭えない。
もしマキナ派に対して何か思惑があるのなら、この申し出がどんなに魅力的に思えても飛びつく訳にはいかない。
藁にでも縋りたい心境であっても…だ。
店主は、明確ではない問いの中にあるものを察したらしい。その面差しに僅か苦笑が帯びた。
「単なるお節介ですわ」
あっさりとそう答えられて、ギップルは再び絶句してしまった。
「……お節介、です、か？」
「ええ。困っている方を放っておけない性質なもので…」
その答えが偽りであるとは思えなかった。
少なくとも今の俺にはそう聞こえた。
「…それに、船の持ち主が貴方のファンでしてね」
「はあ…」
何とも間の抜けた相槌しか返せなかったのは、突然切り替わった話に頭が付いていかなかったせいだ。
「暇さえあれば船を改造している変わり者なのですけど、先日も船に最新エンジンを積んだのだと自慢していたくらいでして…」
島に着くまで話し相手になってやればきっと喜ぶだろうと、彼女は朗らかに笑った。
確かにルカは港町だからそう言った分野を扱うことも多い。
だが、ジョゼで陣を構えている立場ではその顧客全てを把握している訳ではないのだ。
この店主の「お節介」に付き合うことになった船の持ち主もきっと人の良いヤツなのだろう。
世の中、どこでどう繋がっているか分からない。
人生、いつどこで何が起こるか分からない。
巡り廻った縁を辿ってやって来た…思いがけない幸運。
それを目の前に差し示してくれた彼女に感謝したかった。
この感動にも似た気持ちは、ただ言葉に礼を乗せるだけでは伝え切れそうにない。
「俺、今…貴女を抱き締めてキスを贈りたい気分なんっすけど」
彼女は少し驚いたように瞳を瞠った後、クスクスと笑いを立て、そして茶目っ気たっぷりに言った。
「それは、あの可愛らしいお嬢さんにしてあげて下さいな」
終
そろそろ苦情が来そうだな（汗）
誰に助け舟を出して貰おうか迷った挙句、１００題の８４に出てきた女店主再登場させてみました。
余談：ギプに敬語を使わせるのって結構違和感があって悩みました（苦笑）
□０６・予想外の展開：２００６１２０３：シアーズ