★０５・平穏な一日
春の訪れと紛うほどのうららかな日和。
やわらかな陽射しが降る。
窓枠に切り取られた空が澄み切った一色に塗りつぶされている。
眺めていた光景から視線を戻したのは、見られている気配を感じたからだ。
そこにあったのは、こちらをじっと見詰めている緋色の眼差し。
鮮やかな瞳は幾度か瞬きを繰り返し、そっと笑みが彩る。
この顔を見るとどうも調子が狂う。
胸の鼓動は早くなり、次第に顔が熱りさえする。
やわらかに淡く色付いた微笑み。
「どうしたんだ？ぼんやりして…」
ぼんやりではない。
ちょっと逆上せそうなのだ。
「え？いや、何もねえよ」
「陽気のせいか？」
ジョゼはベベルのような…体の芯から凍える寒さなど殆んどないし、雪が降ることは稀だ。
それでもやはり冬であることには変わりが無い。
日々、それなりには冷える。
だが今日は、張り詰めた大気をふと緩めたような…そんな日だった。
窓越しに降り注ぐ陽の暖かさに気の抜けた溜息が零れる。
恋人同士が二人きり。
何をしているかと言えば、窓辺に座り込んで日向ぼっこ。
珍しくも天気が良いと言うのに出かけもせずに…だ。
傍にはトレーに乗せたカップが二つ並んでいる。
ギップルはその一つを取り上げて、ゆっくりと味わった。
「ホント、今日は暖かいのな」
「私はキーリカ帰りだからよく分からないけど…」
小さく笑ったパインも倣ったようにカップを口許へ運ぶ。
「盟主は相変わらずグータラしてたか？」
「それがさ…」
昨日の事を思い出しているのだろう。彼女は可笑しげに肩を震わせた。
そこから始まる他愛の無い話。
昔馴染みやカモメ団のことは勿論、買出し中に見つけた店の話や依頼先で出会った人のことなど、彼女の日常の話だ。
俺は頷いて、相槌を入れ、時に笑いを零しながらその声に聴き入る。
途中…ふと途切れると、少し窺うように見詰めてくるのはいつものこと。
そんな時は、もう無いのかと促してみる。
心地良く染み入る声はずっとだって聞いていたいのだ。
パインはちょっと考えるように小首を傾げたが、直ぐに思い出せる話は無いらしい。
「あんたは？変わったこととか無かったのか？」
「ここんトコ出かける機会もあんまり無かったしなあ。だいぶ出向かなくても済むようになっちまったし…」
ジョゼでの話なら通信スフィアでも話をしているし、ここ数日は事務所に缶詰状態で目新しい話など思い浮かばない。
「出歩かなくなってウエイトが増えたっては…ないよな？」
パインは刷いた笑みをさり気無く隠すようにカップを運びながら、ちらりと横目で窺ってくる。
ちょっとばかりドキリとしたのは、気のせいだ。
「そんなことねえよ？」
「どうだかね…」
やわらかに降る光。
帯びた温みに暖まる部屋。
ゆったりと流れていく時間。
ギップルはクッションを頭にゴロリと寝転んで、苦笑まじりに吐息を吐く。
「何て言うか。…平和だねえ」
「まあ、良いんじゃない？たまにはこんな日も」
覗き込んでくる顔には穏やかな微笑み。
彼女もまた、無防備なほどに寛いでいる。
それだけで何だか嬉しい。
指を伸ばして梳くように髪を撫でていると、心地良さそうに目を細めた。
こうしていると本当に猫のようだ。
「なんだか俺…眠たくなってきたかも」
「良いよ。寝ても。疲れ溜まってるんだろ？」
…あぁ、それでか。
珍しくも部屋で過ごそうと言い出した理由がやっと分かった。
確かに、ここ暫く寝る間も無いくらいの激務だった。
彼女はそれをどこからか聞きつけたのだろう。
今日の時間を確保する為でもあったが、相変わらず世の中混沌…問題は山積みなのだ。
今頃も同胞たちはキリキリ働いていることだろう。
遠い空の下で。
そう思うと、ちょっとした優越感が湧いてくる。
ただ、のんびりと過ごせることに。
それに加えて、彼女が傍にいてくれることに。
「あいつら、眉間に皺寄せて働いてるんだろうなあ」
パインはそれを想像したようで、小さく肩を震わせた。
「…だろうね」
「俺がこんなことしてるって知ったら、恨まれるんだろうな」
「もしかして後ろめたいのか？」
「別に？どっちかと言うと優越感かな」
「あんたはそう言うヤツだよ」
呆れまじりの溜息を漏らしながらも、どこか愉しげなのはこの陽気のせいだろうか。
気を遣ってこんな時間を作ってくれたようだが、折角一緒にいるのに眠ってしまうのは惜しい気がする。
だが思わず欠伸が零れる。
体力も気力もそれなりに自信があったのだが陽気のせいか、それとも疲れのせいなのか。
満ちていく眠気に抵抗出来ない。
「なあ、パイン先生。枕になってくれよ」
「膝を貸せって？」
「違う、違う…」
ギップルはこちらを覗き込んでいるパインの背中に手を回し、引き寄せる。
弱い抗いの後に腕の中に納まった肢体。
柔らかくて温かくて、心地良い。
最高級の…
「…抱き枕」
苦笑めいた軽い溜息がくすぐったい。
「あんたが寝てる間、本でも読もうと思ってたのに」
口だけは苦言を言うが、それが嘘のように大人しい。
腕の中を窺うと、そこにあったのは…ゆるりと浮かぶ甘い綻び。
それだけなのにドキドキする。
内側からも温かくなっていく。
やがてパインは静かに瞼を落とした。
据わりの良い場所を探すように身じろぐと、均衡を失った銀糸の一房が頬を掠めた。
力を抜くような吐息につい笑みが誘われる。
まるで陽だまりで寛ぐ猫のよう。
優しく降る陽の光。
温みに満ちた部屋。
時折現れる雲だけが時の移りを教えてくれる。
そんな静かな時間。
「ホント、あいつらに恨まれそうだなあ」
嬉しさのあまり独りごちた呟きに、無防備な猫が薄目を開けて小さく答える。
「あんたが言わなきゃバレない」
「…それもそうだな」
ギップルは欠伸一つ零して、ゆっくりと目を閉じた。
瞼の紗の向こうには夜とは違う仄明かり。
肌で感じる暖かな陽射しと染み入る体温と。
穏やかに繰り返される呼吸の音。
微かに漂う彼女の香り。
それら全てが優しいまどろみへと誘う。
春と紛うほどのうららかな日和。
張り詰めた気配を緩めるのは大気だけでない。
何とも長閑で平穏な…休息日。
終
春っぽい話だから、もうちょっと後にＵＰしようかな…と思ったのだけど、他のものが仕上がりませんで（汗）
１２０題に入ってギプ視点ばかり。多分、私がパインを好きだから…なんでしょうね。
今の私の願望満載の短編でした（笑）
★05・平穏な一日：２００６０２１９：シアーズ