◆０３・別の空が見える


　やっと手に入れた休暇だった。

　この日を勝ち得る為に必死になって、それこそ寝る間も惜しんで頑張ってきた。
　多忙になり過ぎて更に互いの予定が噛み合わなくなり、この三ヶ月…プライベートで彼女に会えたのは一度きり。
　栄養失調になりそうな状態をギリギリ支えてくれたのは、通信スフィア越しの会話だけ。
　微々たる補給で漸く繋ぎながら、その日を待ち望んでいた。

　楽しみにしていたってモンじゃない。
　それ以上だったのに。




　トラブルは、あと一晩寝れば晴れて自由の身になるはずの…休暇前日にやってきた。

　その一報を耳にした時、話の内容がまるで理解出来なかった。
　思考に絡み付く前に素通りしてしまったらしい。


[何だって？]


　問い返した途端、ラザックは盛大に溜息をついた。
[お前、こんな話を二度も三度も聞きたいのか？]

　決して望んだ訳ではなかったが、再び聞く羽目になったトラブルの報。
　漸く取り付けたプロジェクトの契約を白紙撤回するとの連絡が入ったと言うのだ。


　それが事実だと分かった瞬間、プチッと何かが切れた。

　普段ならもう少しまともに捉えることが出来ただろう。
　だが、睡眠不足で疲労も溜まり…更には癒しの時間目前であったことが理性を吹っ飛ばした。

　何の罪もないラザックには当たり散らすし、ガキのように癇癪も起こした。
　見っとも無いとか、格好悪いとか…なんてことは全く過ぎりもしなかった。

　ぶち撒けられるだけの悪態を付いて、酸欠状態でゼイゼイいっているところに…ヤツの一言。

[気が済んだか？]

　そして、何も聞いていなかったかのように書類を差し出された。

　バツの悪さも手伝って思わず舌打ちをしてしまったのは言うまでもない。
　長い付き合いだけに、ラザックは俺の性格を良く分かっているのだ。

　憤りや嘆きに頭の中を支配されていても刺激一つで我に返る…妙に冷めた思考。
　喚いている場合ではないのだと、理性が囁き出す。

[大至急、チーム全員召集かけろ]

　ギップルは呻くように言いながら震えの残る指先で煙草を引き抜き…火を点け、胸いっぱいに吸い込んだ。
　吐き出した煙の向こうに過ぎったのは、目の前に存在する光景ではなかった。

　それは、ここには無い…想像と期待の産物だった。




　事態を回避する為にアレコレと手を打ってみたが、どうにもなりそうになかった。
　現在手元にあるカードを全部切っても間に合わないことが分かった時、ギップルは漸くセルシウスへ通信を繋いだ。

　勿論、気は重かった。

　でも、ちゃんと説明すればパインなら理解してくれる。
　仕方ないね…といつものように言ってくれるだろう。
　そう頭に過ぎらせながら。


　だが、それはこちらの期待であり、自分本位の思い込みでしかなかったことが知れた。

　微苦笑を湛えていた顔からは表情が消え、彼女はただゆっくりと瞬きを繰り返すだけ人形になった。
　全てを聞き終えてパインは暫く考えていたようだが、軽く口の端を持ち上げて言った。


『まあ、気ままに一人旅って言うのも良いかもね』


　その一瞬前、小さく唇を噛んだことに気がつかなかった訳ではないけれど。
　頭の半分で彼女の性格を理解しながらも、もう少し優しい言葉や労りを欲していた半分が表情を歪ませた。
　反論も弁解もしたかったけれど、言い訳を募っていられる時間は無かった。

　ただ、胸を占めていた気持ちだけは口にした。


「絶対。後から絶対行くから」


　現状を解決する策は漸く動き出したばかりで、どれだけの時間が掛かるか分からなかった。
　けれど…
　それでも…待っていて欲しかったから。

　でもパインは頷いてはくれなかった。
　表情も変えないまま、平坦な声で「そう…」とだけ呟いた。

　ただ、それだけだった。

　悲しくも寂しくも思えたが、その答えが今の彼女の精一杯なのだと…ギップルは思うことにした。





[…連絡船は定刻通り出たらしいぞ]

　事務所に入って来るなり漏らしたラザックの一言に、そこにいた誰もが顔を引き攣らせた。
　勿論、俺も顔を顰めた。

　どうやら彼は通信スフィアでの情報収集がてら、船の運行状況をチェックしたらしい。

　煽ることで奮起させようとしているのか。
　単なる嫌がらせか。

　ラザックの場合どっちも有り得るが、今はまだ余計な事を聞かせてくれるなと言いたい。
　その顔に向かって恨み言の一つでも投げつけようと視線を向けかけた時、ふと違うことが頭を過ぎった。

[あっちの天気は？晴れてんのか？]

　緑の双眸を驚いたように瞬かせ、彼は軽く首を捻った。
　問い返された内容が不思議だったらしい。

[…晴れてるようだが、それがどうかしたか？]
[別に？無事に着けば良いなって思ってさ]

　そう答えながらギップルは苦笑を刷き、窓の外へと眼差しを投じた。


　何度も見上げたルカの明るく青い空が脳裏に浮かぶ。

　…晴れ、ね。

　その事実が何だか可笑しかった。
　ほろ苦くも感じた。


　視覚が捉えたジョゼの上空も良い天気だ。

　小さな白い雲が緩やかに流れていく。
　スピラカモメがゆったりと飛んでいる。

　憎たらしい程に穏やかな光景だった。



　……待ち合わせの場所に行くと、既にもう彼女がいて。
　……待ち遠しかったのだと…口では言わない代わりに、ふわりと笑ってくれて。
　……そして、二人で一緒に船に乗り…

　昨日まで思い描いていたそんな期待は、もう想像の域を脱することはない。
　現実は違うカタチで目の前を立ち塞いでいる。


　でも、諦めるつもりはない。
　まだ全部が終わった訳ではないのだから。


　ギップルはゆっくりと一つ息を付いて、改めて目の前に立つラザックへと向き直った。
　少々同情を滲ませた表情になっている仲間達の視線をかわして、軽く肩を竦めてみせる。

[…報告を聞こうか？]

　今は足掻けるだけ足掻こう。


　違う空の下にいる二人を思い描きながら。



終



独立独歩が信条のマキナ派だけど、局面によってはリーダーの存在も必要でしょう。…てな訳で、足止めされちゃったギプ編です。
彼はいつになったらパインのところに行けるのかしらん。
意外と長い連作になりそうなバカンスネタに…不安すら感じます。うーん、夏っていつまでかしら…。
◆03・別の空が見える：２００６０７２９：シアーズ