◎０１・勝てるとでも？
次第に波が引いていく。
気だるい余韻が眠気を誘う。
だがそれ以上に、曖昧な眼差しのままに瞬きを繰り返してこちらを見詰めている面差しに誘われる。
紅を差していなくても彩りを纏う唇から零れ落ちた、艶かしいまでの吐息に。
寝台脇に座り込んでそれを眺めていると、不意にキュッ…と眉根を寄せられた。
唇が引き締められ、どことなく…への字になっている。
「何か、納得いかない」
あまりにも唐突なお言葉だった。
「はい？」
共にベッドで過ごした女性に突然そんな事を言われれば、男は大抵驚くし不安が過ぎる。
ギップルはいつものように煙草を引き寄せようとしていたが、その手を止めてマジマジとパインを見詰めてしまった。
何やらご不満の様子だが、もしかして、もしかしてなのだろうか。
普段なら眠りの波に引き込まれてうつらうつらとしているはずの彼女が、今夜はちょっと恨めしそうな視線を投げてくる。
「…物足りなかった、とか？」
率直に訊いてみると、疑問符の一瞬間の後…頬に朱が走った。
「ち、違う。莫迦」
それはそれで胸を撫で下ろすところだが、先程にも増した睨みが飛んできた。
しかし、赤らめた顔では効力半減。
ついからかいたくなる程可愛らしい。
「ご希望とあれば喜んで叶えて差し上げるけど？」
ニヤけてしまった顔を見咎めて、また眉間に皺が寄った。
「違うってば。もういい、寝る」
パインは不貞腐れたような声を上げてケットを首まで引き上げると、クルリと背中を向けてしまった。
自分の体温を逃さないようにか、温まっていないケットに触れる面積を減らしたいのか…小さく体を縮めて。
ギップルはベッドの上の脹らみを眺めながら苦笑を噛み殺す。
「ほら、パジャマ着ろって」
声をかけても返答はない。
こうなるとなかなか口を利いてくれないのだ。
少々意地が悪いと自覚しつつ、こんなささやかな諍いを結構楽しんでいたりする。
軽い溜息を零して何気なく視線を動かすと、ふと…ソレが目に留まった。
嵐が去った後のシーツの海に漂流する小さな布切れ。
ギップルは手を伸ばしてそれを拾い上げた。
「あ、発見。今日はレース付きだったんだ。気がつかなかったなあ」
態とらしい独り言を呟いた途端…ケット激しく捲れ上がり、パインは当に文字通り跳ね起きた。
眠気も吹っ飛んだような様子で。
摘み上げたそれを誘うようにひらりと揺らすと、案の定…飛び掛らんばかりに手が出てきた。
寸で引っ込めると、更に身を乗り出して手を伸ばしてくる。
まるで猫じゃらし。
赤い瞳の猫はゆらゆらと揺れるレース付きの代物をムキになって掴み取ろうとするが、それを巧みにかわしていく。
パインは肌を覆う為に片手をケットに封じられ、普段の敏捷性が損なわれているようだ。
結構、楽しい。
「ギップル！」
「何？」
怒ったようで、でも恥ずかしさが隠せない声にギップルは平然と応えてみる。
「か、返せって」
「良いぜ？機嫌直して一緒に寝てくれたらな」
一瞬、唖然としたような表情をしたパインは、やがて忌々しそうに舌打ちをした。
「この悪ガキ」
恐らく彼女の頭の中ではそれ以上の罵詈雑言の数々が渦巻いているだろう。
「俺にとっちゃ、褒め言葉だね」
ギップルは笑みを閃かせ、回答を誘い出すつもりで餌を軽く振ってみた。
だが、寝台上の猫は餌の動きに見向きもせずにこちらを見据えている。
「あまり調子に乗るなよ？」
静か過ぎるほどの威嚇と共に緋色の瞳がすうっ…と細まっていく。
これはちょっとヤバイ兆候だ。
そう過ぎった次の瞬間、目の前の世界が白さで覆われた。
咄嗟に払い除けようとしたが、それよりも早く絡み付く。
次の襲ったのは胸を突く圧力。
まともに食らって、耐える間も無く背中を床に打ち付けてしまった。
続けての第二波は一瞬息が詰まるくらいの腹部への衝撃。
指で捕らえていたモノの感触が奪われるまで、あっという間の事だった。
…ったく、普通ここまでするか？
顔を染めて恥らいながらいつもの一蹴が来ると思いきや、思わぬ展開。
ちょっと…どころか、かなり油断していた。
関係が変わろうとも、この人はやっぱり「パイン先生」なのだ。
ギップルは視界を覆ったケットをどうにか外して窺ってみると、彼女は満足げな笑みを浮かべて間近に覗き込んでいた。
だが、それもつかの間。
直ぐに剥いだケットを元に戻され、視界を覆われてしまった。
「良いと言うまで動くなよ」
「へいへい、動きませんって」
第一、起き上がりたくても起きられないのだ。
手足は自由だが悪戯心に任せて動かしたら最後。何が起こるか分からない。
…しかし、まあ〜。
何とも魅惑的な感触が腹の上に圧し掛かっている。
ただ柔らかいだけではない。
無駄な肉など付いていないから程良い張りがあって、この弾力感がまた心地良い。
これはこれで結構幸せな状況…なのかもしれない。
腹の上で何やらゴソゴソと動いている。
想像するに、パジャマに袖を通しているのだろう。
「なあ、パイン先生…」
「何？まだ駄目だぞ？」
「分かってるって。あのさ、さっき言ってた…納得いかないって何？」
「あぁ、あれ？もう良いんだ」
「気になるだろ？俺、何かしたか？」
数拍の間が去った後、真上で小さく苦笑した気配がした。
「私だけ疲れてるなんて納得いかないって思っただけ」
どこが疲れてるだ？…と突っ込みたくなる程エネルギー有り余っていると思うのだが。
「結構元気じゃねえか…」
ぼやきを受けて、彼女は可笑しげにクスクスと笑いを零した。
恍惚の感触が消えていき、顔を覆っていたケットがあっさりと捲り上げられる。
真っ直ぐに見下ろしていた緋色の瞳が鮮やかな意思の光を纏う。
紅を差していなくとも彩りを帯びた唇がゆるりと笑みを描く。
勝気で不敵な微笑み。
「簡単に負けるのは性に合わないからさ」
甘くしどけない姿も申し分ないが、それ以上に目を奪われる。
目を逸らそうとしても容易に逸らせられない。
それは嘗て日々対峙した彼女に似ていた。
冷ややかでありながら、熱を潜ませて。
危険を孕んでいると分かっていながら魅せられて止まない煌めき。
ギップルは思わず笑いが込み上げるのを感じた。
…あぁ、こんな顔何度も見上げたっけ。
勝てる訳が無いのだ。
技量故でも力故でもない。
この女に、俺は惚れちまったんだから。
終
あの数行を書きたいが故にこんな閨話。オチを付けるのに苦労しました。。
寝る前だと言うのに何をドタバタやってるんでしょう…この二人。
ウチのパインたんは戦闘モードに切り替わると人格変わる…かも（苦笑）
◎01・勝てるとでも？：２００６０１２３：シアーズ