95・思えば不思議


 …何なんだよ。もう!

 どうしてこう、こいつといると問題ばかりが起こるのか。


「そう怒んなって…」

 宥めるように声をかけてくるのは、左の頬を手のひらの型に赤く染めた男。

 彼が慌てて駆けつけた理由を、最初は黙って聞いていた。
 そのうち、無意識に拳を握り締めていた。
 二年も前の事だから時効にしてくれと言われたが、込み上げた怒りは簡単に鎮まらなかった。

『せめて平手にして…』

 震えた拳を目の前に拝むように懇願されて、望み通りにしてやった。
 お陰で手のひらが痛くて仕方ない。



 今回の一件の首謀者が誰であるかは直ぐに想像が付いた。
 共犯者を問い詰めればそれも明白になるだろう。

 そう言った意味では、この男もハメられたクチなのだ。
 だが、そもそもの発端はこいつなのだから同情するつもりはない。
 あの共犯者も一度シメなければ気が済まない。

 そう思って書庫を飛び出そうとした。…のだが、その書庫を扉が何故か開かない。

 鍵はかかっていないのは何度も確かめた。
 そう頑丈には見えない扉だ。


「蹴破るか?」


 行く手を阻む扉を見詰めながら零した呟きに、異議があるような溜息が聞こえた。

「もうちょっと穏便にいかねえ?」
 この男の口から「穏便に…」なんて言葉が出てくるとは思いもしなかったので少々驚いた。

「何か案でも?」
「誰かが来るのを待つって言うのは?」
「ヌージに逃げられたらどうするんだよ」
「策を講じた奴は必ず結果を確認するもんだぜ」

 ギップルはそう言って、何を思ったのか扉に凭れるように座り込んだ。
 そして、直ぐ傍の床をポンポンと叩く。

 そこに同じく座れと言いたいらしい。

 見上げてくる顔を不審と警戒を込めて見詰めていると、一つだけの眼差しが苦笑を帯びた。
「…ここにいた方が外の動きも直ぐに分かるだろ?」


 何なのだろう。この余裕ぶりは。


 パインは不意に戸惑いを覚えて眉根を寄せた。
 それを誤解したのか、ギップルは苦笑を深めると少し距離を取るように空間を作った。

「これなら良いか?」

 別に、直ぐ傍に座るのが嫌だった訳じゃないのだけど。


 この書庫にある窓は開閉の出来ない明かり窓と柵で覆われたものばかり。
 侵入が出来ないようにしてあるのだろうから、脱出する事も難しい。

 他に案も思い浮かばないパインは、仕方なくその空間へと腰を下ろした。
 軽く立てた膝に腕をかけて、扉へと寄りかかる。するとギップルは満足したように、嬉しそうな笑みを浮かべた。


 そんな顔をされると、落ち着かない気分になってしまうのに。
 怒りに尖っていた思考が凪いで全く違う方向へと膨らんでいく。


「…何で怒らないんだよ」
「ハメられてか?そりゃ…腹立ったけど、儲けたかなって思うし」

「儲けた?何を?」

「パイン先生と二人っきりの時間」

 そんな事を面と向かって言わないで欲しい。
 意識してしまうではないか。


「前も訊いたけど。こんな私といて楽しいのか?」

「前も答えなかったか?…勿論って」


 つくづく物好きな男だと思う。
 こんな私のどこが良いのだろう。

 誰に言われるまでも無く可愛げなんてないし、口から出るのは憎まれ口ばかりだし。
 最近はこの男の前で怒ってばかりだし。
 まあ、こいつが怒らせるような事ばかりする…と言うのもあるのだけれど。

 パインはいつまでも正視してくる視線から逃れたくて、顔を逸らした。


「物好き」

「…物好きで結構」


 もう何度繰り返したか分からないやり取りだった。



 私はまだ…答えを告げていない。

 気が付けば、あの時から一つの季節が過ぎ去っていた。

 あれほどまでに胸の内に溢れていた戸惑いも迷いも、今では時折過ぎるくらいで。
 必死に答えを出そうと焦っていた自分が滑稽に思えた。
 捨て切れない過去の型に今を押し込めても、歪みや隙間が生じるだけなのに。



 何の気無しに零した吐息に、ギップルは恐る恐ると言った風に窺ってくる。

「もしかして、まだ怒ってる?」

 今でも腹立たしい…とは思うけど、怒っているとも少し違う気がした。
 振り回されて、心乱されて苛立ちながらも、その後にはどうしたら許せるのだろうと考えている。
 どうにか自分を納得させて、許したいのだろう。

 今まではどうして良いのか分からなくて、苛立ちを募らせるばかりだった。
 でも、今回はちょっと違っていた。

「別に…」

 それでも、素直に許すと言えないのは捻くれているのだろうか。

「アレ…さ。取り返したらパイン先生に進呈するから」
「当たり前だ。馬鹿」
「そんなに怒んなよ」
「怒らせるような事をしたのはあんただろ?」

 非難を込めて睨め付けると、ギップルは居心地が悪そうに身を竦めた。


 不意に降りた静寂。
 探す言葉も無く、ただそれに意識を委ねる。


 パインは立てた膝を引き寄せて腕で抱えると、大きく息を吐き出した。

「…それ、癖なのか?」
 何を指して「それ」なのかが分からなくてマジマジと見詰め返すと、ギップルは苦笑して抱えた膝を指差してくる。

 確かに癖なのかもしれない。
 この体勢でいると、何故か落ち着くのだ。

「そう…なのかも」
「パイン先生って、寝る時も丸くなって寝るよな」
「あれは、剣を抱えてたから…」

「人形がないと眠れない子供みたい」

 アカギの頃にも、そうからかわれた。

 それは、腕の中にある存在が自分の全てだったから。
 帰って来なかった人が一番大事にしていたものであり、私に残してくれたものだった。
 片時も離さずに、眠る時も抱いて眠った。
 次第に自分の温もりが移っていくのを感じながら、まどろみの中を漂い続けた。

 そんな事をしなくても眠れるようになっていたけれど、体に染み付いていたのかもしれない。


「人形は抱かなかったけど、お気に入りのケットじゃないと眠れない子供だったんだ」


 冗談めかして答えると、ギップルは一瞬…驚いたように瞳を瞬かせ、そして小さく噴き出した。
 それに釣られて、私もそっと笑みを零す。


 不思議だった。

 この男の傍らにいて笑っている自分が。
 胸の中に満ちていく安堵にも似た気持ちが。

 でも、紛れも無く…それが今の私だった。






書庫に閉じ込められる二人…の巻。使い古された手法だよなあ(溜息)
どうやらギプは平手一発で済んだらしい。さて…盟主は?
お題95・思えば不思議:20050604:シアーズ