90・仏頂面


 すぐに答えが出て来ないと言うのは、その答えが無いと言う事なのだろうか。
 私は未だに立ち尽くしていた。

 空は晴れ渡っていた。
 絶好のスフィアハント日和…と言いたいところだが、肝心のスフィアの情報は全く入ってこない。
 しかも実戦部隊で飛空艇にいるのが一人だけとあっては臨時休業の看板が下がっているのと同じかもしれない。
 パインは甲板の上に腰を下ろして、脚を投げ出したまま…流れていく空を仰いだ。

「どこかで降ろして貰うか…」

 このまま飛空艇にいてもする事がない。
 いや…する事はあるのだが、そう言う気分になれないのだ。
 気晴らしに近くの街に出かけるのも良いかもしれない。
 そう考えを廻らせて立ち上がろうとした時、ダチの声が響き渡った。

『おーい、パイン!降りて来られるか?』


 …おいおい、まさか一人でスフィアハントさせる気じゃないだろうな。


 思わず溜息が零れた。
 折角の余暇のはずだったのに。




 パインはブリッジに入って…呼んだか?と声をかけようとしたが、思わず息を呑んだ。

「よお…パイン先生、元気?」

 相変わらずの屈託の無い様子で嬉しそうに手を振っている男を目にして、思わず半歩…後退してしまいそうになった。
 だが…避けなければならない理由もあるはずも無く、理性をフル活動させ何とか踏み止まる。

 最近…ずっと振り回されている、訳の分からない感情が湧き上がってくる気がした。


「何で…あんたがここにいる」


 努めて冷静になろうとすればする程、掻き混ぜられていく感情。
 それを表に出さないようにしようとすると、つい邪険な態度を取ってしまうのは悪い癖だ。

「…お遣い。お遣い」
「マキナ派のリーダーが使い走りか?それはご苦労な事だな」
 パインはそう言いながら自分を呼んだダチへと冷ややかな視線を向ける。
 こんな事の為に呼んだんじゃないだろうな…と言葉にしない非難が分かったのか、ダチはコソコソと自分のシートへと戻っていく。
「あ〜依頼だ。依頼」
 何気に腰が引き気味のアニキの言葉にパインは思わず瞳を細めた。
 アニキは嫌いであるはずのギップルの後ろに隠れるようにさり気無く移動していく。

「…ふうん」

 更にに瞳を細めて階段上から見下ろしていると、それに耐えられなくなったのか、アニキまでもが逃げるように操縦席へと戻っていく。
「く、詳しくは…こいつに訊け」


 訊けと言う事は…依頼は受けると言う事か。


 パインは小さく舌打ちして、ブリッジへと降りる階段の柵を勢い良く蹴飛ばした。
 ガンッと大きく響いたその音にダチとアニキの肩がビクリと震えたのが見えた。
 だがギップルだけは動じた様子も無く…苦笑を零しただけだ。

「あんまり威嚇すんなよ。ビビッてるぜ」

 その余裕ぶりに益々神経が逆撫でされていく気がした。

「煩い。…帰れ」
「連れて行くって言っちまったし、機嫌直して来てくんない?」

 微妙なニュアンスの言葉だった。
 依頼元はギップルではないと言う事か。
 パインは訝しげに眉を寄せた。

「連れて行く?私をか?」
「そっ、パイン先生ご指名なんだ」

 意味が分からずにギップルを見詰めていると、興味を持った事が分かったのか彼は少し嬉しそうに笑みを刷いた。

「誰がだ…?」
「…青年同盟の盟主殿」

 それはあまりにも思いがけない人物だった。

「ヌージが?何で?いや…それより何であんたがその話を持ってくる?」
「俺も別の仕事で呼ばれててさ」
「何だか…胡散臭い」

 出来ればギップルと二人きりなどにはなりたくない。
 あの訳も分からない感情が心を揺さぶってしまうから。
 最近、この男といて平常心が保てた例がない。

「行き先は青年同盟本部。あそこにあるスフィアを選別してキーリカの支部とベベルに運ぶのがパイン先生への依頼」
「ヌージ、こっちにいるのか?」
「キーリカに篭ってるとバラライから嫌味言われるってさ。どうだ?行くか?」

 ヌージに会えるなら…そう思ったのが顔に出てしまったのか、ギップルは苦笑を深めた。
 パインは思わず小さく唇を噛み締めて視線を反らした。


 冷静に処理しきれなくなっている記憶がゆっくりと擡げていく。

 だが、ずっと逃げ回っていても埒が明かないのは分かっていた。


「報酬は弾んで貰えるんだろうな」
「俺に訊くなよ。ヌージに直接交渉してくれ」
「仲介役ならそれくらい保障しろ。…馬鹿」

 ギップルは溜息を付きながら仕方なさそうに肩を竦めて、了承の身振りをした。





 焦る必要は全く無いのだと自分に言い聞かせていた。
 でもそれは、そう思わなければ…気持ちが抑えきれない裏返しなのだと、俺自身が一番分かっていた。


「くそっ!絶対割増させてやる!」


 パインは怒りも露わにして手にしたロッドを振り上げた。
 それに合わせて凄まじい冷気が吹き荒れる。まるでその感情そのもののように。

 同じく魔物に対峙していた一応…護衛役の青年同盟の隊員すら逃げ腰になっている。
 ギップルは苦笑を漏らしながらハンドガンの引き金を引いていった。

「魔物退治に来たんじゃねえんだけどなあ」
「も、申し訳ありません。支部に人員を割いたもので警備が減って…」

 魔物も多少野放し状態になってしまっているらしい。
 時々、訓練と称して魔物を一掃してはいるようだが、以前に比べて隊員の顔ぶれも変わり、少々厳しい状態なのだろう。
 一緒に付いて来ている隊員もまだ新米に毛が生えたようなのばかりで、戦力としては数の内にならないくらいだ。

 パインもそれが分かっているらしく、先程からドレスを何度チェンジしたか分からない。


「あんたらは正直…邪魔。引き返せ」


 対峙した魔物を全て排除し、黒魔道士のドレスを解いたパインが冷たく言い放った。
 足手まといになるくらいなら…護衛役など要らないと言う判断だろう。

「しかし…それではヌージ様に叱られます」
「ここで私にシメられたいか?」


 低く唸るようなパインの声に隊員達は今にも飛び退さらんばかりに身を強張らせて、ブンブンと頭を振った。
「昇降機近くにも警備の奴がいるんだろ?そこまでなら何とか踏ん張れるだろうさ」
 パインのあまりの不機嫌状態に、ギップルは肩を竦めながら軽くフォローを入れてみる。
 素直に引いて貰わなければ更に低気圧はパワーを増幅しかねない。


 そこらの魔物より恐いのだ…この女性は。


「そ、それではお気をつけて行って下さい」
 まだ若い隊員達は青ざめた顔を強張らせながら、キノコ岩街道半ばで引き返していった。

「大丈夫かねえ、…あいつら」

 無事に入口まで戻れるのか心配になってギップルは小さくぼやいた。
 かなりの魔物を退治したのでそう危険も無いだろうが。

「…人の事より自分の事だ」

 相変わらずの素っ気無さで答えたパインは本部の方向へと歩き出す。
 ギップルは溜息交じりに肩を竦めるとそれに続いた。


 確かに他人事より自分達…の事が大事だった。
 思いがけずそう言う…感情に関しては未だに不明だが…関係になり、時折会うようになったは良いが、ここ最近…体よく
避けられている気がする。

 あの出来事を後悔し始めているのかもしれないと思うと、やりきれない気持ちが込み上げてくる。
 ギップルは確信に触れられない自分の臆病さに内心苦笑しながらも、全く違う話題を振った。



「なあ、ここにもマキナを置くって言うのは…どう思う?」
「…商売上手だな」
 先程までの凍りつくような冷ややかな声は消えていた。どうやら少しは気が静まっているらしい。
「これでもマキナ派のリーダーの看板背負ってるもんで」

 パインは皮肉げに唇の端を持ち上げた。

 だが…眼差しだけは周囲の状況を常に窺っている。
 いや…意識を張り巡らせているのかもしれない。

 気配を探っている猫みたいに。

「あまりマキナに頼ると訓練にならないんじゃないか?」
「…訓練中に死なれるよりマシじゃねえの?トンベリとかも出るんだし」
「あれは…相手に出来ないなら逃げればいい。人間の足には追いつけないんだからな」

 さすがは天下無敵のカモメ団の女剣士。
 魔物の相手に慣れているといる事か。あの若い隊員たちの指導員でもしてやれば彼らの腕も上がるだろうに。


 そのパインの表情がすうっ…と消えていくのが分かった。
 微かに瞳を細めて前方を見据えている。

 猫の髭に何かが引っかかっただと分かって、ギップルはハンドガンのグリップを握る手に力を込めた。







終わりと言うより…続く。
お題90・仏頂面:20040104:シアーズ