７４・ああ言えばこう言う


　正直…驚いたし、情けない事にどうして良いかさえ分からなくなってしまった。
　ギップルは痛みが薄れ始めた体を起こして、涙に濡れるパインの頬を撫でてみた。


「泣くなって。あんたに泣かれると…凄く困る」


「凄く恐かったのに。それなのに…」
　濡れた緋色の瞳が辛そうに揺らいで、幾筋もの涙を零していく。
　ギップルはパインの体をそっと引き寄せて腕の中に収めると、優しい手つきで背中を何度と摩った。


　まるで子供をあやすように。


「俺のせいか？」

「あんた以外に誰がいるんだ。馬鹿」


　それは一種告白に似ていた。

　ギップルは小さく苦笑を刷く。
　腕の中にいる人が自分を失いたくないと思ってくれたのだと分かった。
　仲間だという思いからなのだとしても、こんな風に泣いてくれるなんて幸せだと思った。


　触れた体。
　でも…触れられない心。
　届かない想い。


　剣を持たせれば誰にも負けないくらい強いのに、虚勢や頑なな鎧がないと自分を守れない不器用な人だ。
　今でも思い出す。再会したあの日の…拒絶心すら感じた冷たい緋色の眼差しを。

　その瞳から涙を零し、この人が震えている。
　あの…触れた夜のように、怯えたように身を強張らせて。

「悪かったよ…」
　ギップルはそう呟くとパインを抱き締めている腕に力を込めた。




　どれくらいそうしていたのか分からない。
　不意にパインの体が小さく身じろいだのが分かった。
　ゆっくりと腕を緩めて顔を覗き込むと、濡れたままの瞳が一瞬揺らいで…視線を反らされた。

「…落ち着いたか？」

　困ったような表情のまま、パインは小さく頷きを返してくる。
　そして少し悔しそうな顔をした。どうやら泣いてしまった事を悔やんでいるようだった。
「…不覚だって思ってんだろ」

　涙に濡れた頬をそっと拭ってやりながらそう言うと、パインは小さく唇を噛んだ。
　その仕種はどうやら癖のようで、また少し血が滲んでいた。
　また舐めとってやろうかと…悪戯心を擽られたが、そんな事をしたら今度はシメられそうだったので、やめる事にした。

「…まあ、見なかった事にしておいてやるよ」

「貸しのつもりか？」
　不満そうに眉根を寄せてパインは少し乱暴な手つきで頬を拭っていく。
　何とも彼女らしからぬ…子供っぽい仕種に、ギップルは思わず苦笑してしまった。
「パイン先生に貸すつもりがあるなら…」

　貸すどころか、こちらの方が命を救って貰った…デカイ借りがあると言うのに。それすら思いつかないらしい。

　パインは剥れたような顔をして、大きく息を吐き出した。
「元はと言えば、あんたがあそこで邪魔をするから…」
　邪魔…との言葉に、ギップルは何を指しているのかが分からず首を傾げた。
　それが分かったのだろう、パインは不満そうに眉を寄せた。
「…一撃で決められたはずなんだ。それをあんたが邪魔したんだろ？」
　それがどの場面の話をしているのか漸く分かったギップルは、思わず眉間に力が入るのが分かった。

　多分、今…自分達は同じような表情をして向かい合っていることだろう。

　完全に沈黙させられなかった蛇の姿をした尾。
　そこから放たれた魔法は確実にパインを狙ってのものだった。

　それを避けもしようとせずに…。

　即死する程の威力は無い…との判断だったのだとは分かる。だからと言って無傷で済むはずは無い。


　…ったく、こいつは！こっちの気も知らないで！


　肌に残る幾つもの傷痕。
　あんな戦い方を今までしてきたのかと思うと背筋が寒くなる。
　それと同時に込み上げたのは憤りにも似た…それでいて胸が痛くなるような感覚だった。

「あの状況で助けないなんて出来っこねえだろ？」
「…それであんたが死にかけたら意味が無いだろ？馬鹿」
　パインは容赦無く言い放ったが、次の瞬間…再び感情が昂ぶったのか、唇を噛み締めて指先で目元を拭う仕種をした。

　こんな風に…感情に激しく振り回されているパインを見るのは久し振りに見る気がした。
　全てを拒絶するように纏う…冷たい鎧で、内にある全てを覆い隠そうとする。

　あの頃はもう少し…素直に笑う事も、怒ったように剥れる事も出来た人なのに。
　そんな冷たくて硬い鎧をもっともっと脱がしてしまいたかった。

　ギップルは小さく苦笑を零すと、パインの体を再び腕の中に収めて背中をポンポンと叩いた。
　今度は少し抵抗するように身を捩られた。


「…そ、そんな事で誤魔化すなっ」


　誤魔化すつもりなんてない。
　泣いている顔は、少し心が痛むけど…何となく嬉しくて、また口付けでもしてしまいそうな気がするから。

終


　危機は距離を縮めると言うけど…かなりベタ過ぎのような気も（苦笑）
　お題74・ああ言えばこう言う：２００５０１０４：シアーズ