７１・嘘つき


　…ふーん。


　そう思ったのは二度目だ。

　今回は口にはしなかったけれど。
　それは把握した事実を容認した訳ではなく、そうなんだ…と確認した内心の呟き。

　バラライは微かに細めた眼差しを二人へと交互に当ててみる。

　恐らく、今この瞬間…こちらの存在など頭に無いだろう。


　見詰め合ったまま数拍の硬直。


　だが、それだけでも分かった事がある。




　バラライは無意識のうちに微かに上がっていた口角を意識的に持ち上げた。


「…パイン。今日はどうしたんだい？」


　声をかけた事で、漸く彼女はこちらの存在を思い出したらしい。
　いつもは表情の読みきれない瞳も動揺を抑え切れないようだった。

「誰のせいだと思ってるんだよ」
　それでも懸命に強気な態度を取ろうとしている辺りが彼女らしい。
「僕のせい…って言いたい訳？」
「…言いたいね」

　一刀両断にしたいようだが、残念ながら刃こぼれをしているようで威力も半減と言ったところだ。

　片や、先程から面白くなさそうな顔はしているが、口出し出来ずに躊躇したままでいる奴がいる。
　そんな顔を見てしまうと、


　…さて、どうしようかなあ。


　と、思わず悪い虫が疼き出す。


　パインは自分の攻撃に効力が無いと分かったらしく、無言のままデスクに近づいてくると手にしていた紙の束を差し出してくる。
「ありがとう」
　それを受け取って労うと、パインは柳眉を逆立てた。
「私は伝書鳩じゃないって何度言えば分かるんだ？お陰でキーリカに一泊する破目になったぞ」
「それはヌージに言ってよ。でも、どうせ…「とっておき」の報酬が出たんでしょ？」
　パインは一瞬次の言葉を失ったように口を噤んだ。
　どうやら当たりだったらしい。
「と、兎に角！金輪際やらないからな」
「冷たいなあ」



「何だ。そっか…」



　不意に聞こえた小さな呟き。
　それはパインにも聞こえたのだろう。
　怪訝そうな顔をしてその呟きに主へと視線を投じた。

　妙に納得した様子。
　しかもかなり安堵したような…内心に真っ正直な顔で小さく吐息すると、ギップルは長椅子に凭れた。

「…何がだい？」

　どこかを見ていた眼差しが弾かれたように飛んでくる。
　声に出して呟いていた事に気が付いていなかったらしい。

「えっ？い、いや。何でもねえよ」
　どう見ても何でもないようには見えないのだが、とりあえずはそのまま受け流す事にした。
　それはパインも同じだったようで、何も言わないまま…再び視線を戻してくる。
　と、言うより余計な突っ込みをしたくないと言うところか。


「お茶でも淹れようか？僕も休憩したいし…」
「私が来る度にそう言ってないか？」
「そうかな？」


「十回以上は聞いたぞ」


　多分、パインは何も考えずにそう言ったんだと思う。
　呆れ顔そのままに、緋色の瞳が見下ろしてくる。

　視界の端でギップルが顔を強張らせた事なんて全く気が付いていない。


　…自分で何を言ったか、分かってないんだろうなあ。


　つまりは、十回以上この部屋を訪れている…と宣言してしまった訳で。


「息抜きくらいさせてくれる？丁度…ギップルもいるし、三人でお茶にしようよ」
「あんた達…仕事中なんだろ？私を理由にサボるなってば」
「じゃあ、昼食なら良い？」

　パインは少し考えたようだったが、あからさまな溜息を付いた。
「あんたの奢りだろうな」


「勿論。いつもの所にいてよ。呼びに行くから」


　その言った瞬間の…ギップルの顔ったらない。
　強張りを通り越して、引き攣っていた。

　そんな事など気が付きもせずに…まあ、故意に視線を向けないようにしていたから分かるはずもないのだが…パインは小さく頷いた。




　パタン…と音を立てて閉じられた扉。
　その向こうに消えてしまった姿を追うように、複雑な心中そのままの表情でその扉を見詰めたままの男が一人。
　思わず噴出してしまいそうになるのを必死に堪えて、バラライはその横顔に声をかけた。
「どうしたの？」
　我に返ったように瞳を瞬かせたギップルは、明らかに動揺した様子で頭を振った。
「えっ？いや…何もねえけど？」


　…嘘ばっかり。


「そう？…えっと、何の話をしてたんだっけ？」
「さ、さあ。マカラーニャの話はしたよな」
「それは聞いたよ」
「そうだよな。何だったか忘れちまった…」
　ギップルは小さく呟きながら手元にあった書類へと視線を落とすが、どう見ても読んでいるようには見えなかった。




　降りたのは長い長い沈黙。


　窺えば…眉間に皺を寄せたまま、一点を凝視している眼差し。
　紙に穴が開きそうなくらい見詰めている。
　とは言っても、その文字など読んではいないだろうけれど。


「どうしたの？そんなに難しい事書いてあった？」
「そんな事ねえよ」
　声をかければ不貞腐れたような、剥れたような声が返ってくる。

　バラライはパインが持ってきた書類を取り上げて、視線を走らせた。

　心持ち…口許が隠れるくらいに持ち上げて。



「やっぱり何か悩み事？何だったら、お兄ちゃんが聞いてあげるよ？」


終



ギプ、ごめん！…と逃げてみたり。
お題７１・嘘つき：２００５０２１５：シアーズ