６８・ドキドキが止まらない
「あれ？パイン…出かけるの？」
身支度を整えて部屋を出ると、カウンターで遅い朝食を摂っていたリュックが声をかけてくる。
「ああ。ルカに…」
「…買い物なら付き合おっか？」
「買い物は買い物だけど私の…じゃないんだ。ギップルの付き合い」
リュックは驚いたように目を瞠って、動きを止めてしまった。
手にしていたフォークからオムレツがポロリと皿の上に落ちた。
「…ギップル？また？」
「またって…この前は仕事だっただろ？」
ビーカネル砂漠で発掘されたパーツの盗難事件の調査で、それが出回っていると思われたフリーマーケットへと
二人で赴いたのは少し前の事だった。
「そりゃ…まあ、そうだけど」
リュックは少し顔を顰めて、何かを考えるように口許に手を当てて…何やらブツブツを漏らしている。
「どうかしたか？」
「え？あっ…な、仲良いんだね」
そのフレーズがどこかで聞いた事があるような気がして、パインは無意識に記憶を探っていた。
「昔の仲間だからな。まあ、今じゃちょっと違うかも…」
「もしかして…付き合ってんの？」
探るように見上げてくる翠緑の大きな瞳。その眼差しと言葉に不意に弾けた記憶があった。
『昔…付き合ってた』
からかうようにそう言っていたのは、今から会う男だった。
もしかして…と、考えたと同時に込み上げたのは後ろめたさと後悔だった。
二人は今でも仲が良い。リュックはギップルといると楽しそうだし、ギップルも何かとリュックを構っている。
今でもリュックはギップルの事を異性として好きなのかもしれない。
そうだとしたら、自分がギップルと二人で会おうとしていることを快く思う訳がない。
「…まさか。ルカの街を少し知ってるって言ったら、良い工具屋は無いかって言われて…」
出てくる言葉は自分でも酷く言い訳めいていると思った。
「そっか、パイン…ルカに住んでたもんね」
リュックと初めて出会ったのはルカの街。自分がその辺りに住んでいたのだけは知っている。
あの日…迷子になっていた二人が出会った場所だから。
「…あの、リュックが嫌だったらやめるけど？」
「何で私？」
不思議そうに翠緑の瞳が瞬いた。
「え、あ…だって、リュック、あいつの事…」
今度はその瞳がキョトンと見開かれた。
ややあって…リュックはぎこちない仕種で首を傾げながら、何かを考えるように眉を寄せた。
「私があいつの事？…まさか、好きなんじゃ？なんて訊こうとした？」
当にその通りだったので、パインは一瞬返す言葉を失ってしまった。
小さく頷いて返すと、リュックはカウンターに頬杖を付いて…大きく息を吐き出した。
「…残念ながらはずれ。もしかして、あの冗談をまともに受けてた訳？」
「冗談って、リュック…赤くなってたじゃないか」
リュックは少し困ったように顔を顰めて、カウンターの上にあった飲みかけのオレンジジュースを口に運んでいく。
「…あれねえ。話しすると長くなるんだ」
「言いたくないなら良いけど…」
誰でも他人には教えたくない記憶を持っている。
勿論…自分もだ。
「まあ…そのうち話す。でも誤解しないでよ？私とあいつは何でも無いの。工具屋でもシアターでも付き合ってやって」
リュックは前回の調査の時にギップルとシアターに行ったのを知っている。コメディーを観たと言ったら凄く驚いていたけれど。
それを指しているのだと分かるが、リュックの言葉が本心かどうか分からない。
「リュック…あの…」
「…パインは？あいつの事好きなんじゃないの？」
好き。
確かに嫌悪より好意の量が多い。昔の仲間だから。
でもリュックが言おうとしている…好きの意味は少し違う。
『あんたが惚れてんのは…ヌージだもんなあ』
多分…それと同じ意味だろう。
ギップルにも否定したが…ヌージにもバラライにも、ギップルに対してもそんな個人的な感情を抱いた事は無い。
あの頃は四人で一つだったから。
「別に…嫌いじゃないけど？」
「好きなんじゃないの？何だか…仲良さそうだし」
仲は悪くないと思う。
銃器の扱いは得意であったギップルも…隻眼のせいなのか、接近戦は苦手のようだった。
喧嘩慣れはしているようだったが、動きは大雑把で雑。
つい見ていられなくなって口を出した。だったら手本を見せてみろ…と、言われたから相手をしてやったのだ。
それ以来…先生付きで呼ばれるし、懐かれた。
女の癖に…と小馬鹿にしないでくれる事が嬉しかったし、腕を上げていくギップルを見ているのは楽しかった。
誰にも邪魔されない…張詰めた瞬間が好きだった。
「だから…」
パインは自分の感情を言葉にしようとして、不意に気が付いてしまった。
バラバラになってしまった仲間。再び出会った今、それは以前とは同じカタチをしているのだろうか。
「ねえ…パイン。難しく考える事なんてないと思うよ。一緒にいて楽しいなら…好きって気持ちでしょ？」
「だから嫌いな訳じゃ…」
「嫌いじゃない…は、好きと同じ意味じゃないよ」
無意識に口にしているのは、いつも…嫌いじゃないと言う言葉。
それはどこかで感情にブレーキがかかっているからだと思う。
素直に好きだと思う事を拒否しているかのように。
…あの頃だったら言えただろうか。
パインが出て行ってしまった居住区でリュックは、一人冷めた朝食を突付きながら溜息を付いた。
「ったく…しっかりやんなよ。…馬鹿ギップル」
前回のデート…のような調査依頼の時、二人一緒に過ごしたようだったので、もう少し発展しているのかと思いきや、
パインは以前と全く変わっていなかった。
ギップルがパインを好きなのは知っている。
四人の関係が修復した後、依頼でジョゼに行った時に気が付いた。
ギップルの視線が追いかける先にはいつもパインがいたから。
ガラにも無く…初心な少年みたいに、その存在が気になって仕方ない…とでも言うように、ずっと見詰めていた。
『一目惚れって言うのかねえ。魅力満載でクラクラしちまったんだ』
いつから好きなのかと問いた時、ギップルは嬉しそうな…そして珍しくどこか切なそうな顔をしてそう言っていた。
パインはヌージのことが好きなのだとばかり思っていたから、その顔の意味が少し分かったけれど。
見ていて初々しい程の穏やかな眼差しを彼に向ける度に。
その存在を確認すると…瞳の奥が綻ぶのを何度も見ていたから。
「…私は、あんたの事…応援するからね」
ギップルにはちょっと憧れてはいた。
好きの部類だと思う。でも…恋愛感情とはちょっと違う。
あいつは悪友で、一緒に育った兄貴みたいなものだ。何でも話をしてきたし、色んなことを訊いてきた。
勿論…好きな人の話もした。
大好きになった人の事で沢山泣いた時も、チビの癖に生意気だと笑われたけど、ギップルは色んな言葉をくれた。
だからもし…手助けが出来るなら、幾らでも貸してあげるつもりだった。
「まあ…人の事より自分の方だよねえ。どこかに恰好良い男の子…いないかなあ」
胸がドキドキするような相手がどこかに転がっていないだろうか。
リュックは冷め切った朝食を突付きながら、再び溜息を零した。
何だか…気持ちが落ち着かない。
…リュックにあんな事を言われたせいだ。
パインは隣りを歩く男の気配に胸の奥がざわめくのを感じていた。
「…どうした？もしかして機嫌悪い？」
ずっと黙ったままでいる事を訝しげに思ったのか、ギップルが声をかけてくる。
パインは頭を振って答えながら、さり気無く距離を取った。
あの日以来…不意にあの眼差しが脳裏を掠め、何度も名を呼んでくれた声が耳の奥で弾ける。
でもそれは嫌悪感ではない。
「なあ、パイン先生。何か怒ってんの？」
「別に…」
そう答えた次の瞬間、腕を掴まれた。
触れられた感触を思い出したように肌が粟立つ。
思わずその手を振り払っていた。
しまったと…思った。
これで二度目だった。ここまで過剰な反応をするつもりは無かったのに。
弾かれたように見上げた顔はあの時とは違っていた。
少し真剣味を帯びた緑の瞳が見詰めていた。だが…それは、ややあって苦笑へと変わっていく。
「何…ピリピリしてんの。もっと肩の力抜けって…」
ポンポン…と肩を軽く叩かれる手の感触に、不意に…力が抜けた。
自分でも驚く程に。
「…あ、うん。ごめん」
「あんたは感覚がいつも開きっ放しだからなあ」
「感覚が開きっ放し？」
意味が分からずに首を傾げると、ギップルは可笑しそうに笑った。
そして指先で額を小突いてくる。
「自覚ねえの？いつだって周囲の気配探ってる猫みたいなのに」
人より少し過敏に反応してしまう感覚を指しているのだと分かって、パインは小さく苦笑を漏らした。
「意識してやってる訳じゃないんだ」
「…ここは魔物も出ねえし、もうちょっと力抜けよ」
それは自分の全てにおいて…言われているような気がした。
何かにつけ…神経が張詰めてピリピリしてしまう。
まるで何かに怯えているかのように。危険な事など何も有りはしないのに。
「そう…だな」
パインは自嘲気味に苦笑を刷くと、小さく頷いた。
ギップルの大きな手が目の前に差し出され、それがゆっくりと頭へと添えられていくのが見えた。
髪を撫でようとしたのだろうが、その手が躊躇したように止まった。
うーん…と少し不満げに声を漏らした意味が分からずに…ギップルを見上げていると、彼は少し迷ったように、
額にかかっている前髪をそっと撫で上げた。
「…何？」
「髪撫でられるの嫌いじゃなさそうだし…と思ったんだけどさ」
…子供扱いされているみたいで嫌いだけど。
そこから先…浮かんだ考えに、パインは不意に鼓動が早くなっていくのを感じた。
何度も髪を梳いていく手の感触を…あの時自分は心地良いと受け取っていた。
「…えっ？」
浮かび上がる思考に戸惑い、パインは小さく声を漏らしてしまった。
「折角、セットしてあるの撫でたら怒られっかなあって…」
ギップルは自分に問い返されたと思ったのだろう。肩を竦めながら…そう答えくれたが、パインは殆んど聞き流してしまっていた。
触られても平気。嫌いじゃない相手だし…多少は気心が知れている人だから。
でも…この人にそうされるとホッとするのは何故？
「…どうした？まだ何か怒ってんの？」
怪訝そうに顔を近付けて覗き込んでくる眼差しに、パインは思わず半歩身を引いて…それを避けた。
「べ、別に…。ほら…行くぞ」
パインは熱くなってきた頬を隠すように顔を反らして、通りを歩き出した。
「やっぱ…何か怒ってる。なあなあ、俺何かしたか？」
弾かれたように追ってきたギップルは、懲りずに直ぐ傍から顔を覗き込もうとしていた。
防御本能が働いて…反射的にその顔を睨みつけてしまう。
「…しつこい！」
近づいて来ようとする者に距離を知らしめようと、つい邪険にしてしまうのは悪い癖だと分かっているのだけど。
…あんまり顔を近付けるな。馬鹿。
でも何でドキドキしているんだろう。
終
芽生えてきたのか…は微妙なところ。パインちゃんの恋心。ギプは結局この手を使ってお誘いしたようです。
お題68・ドキドキがとまらない：２００４１２１９：シアーズ