６１・バカ


　伝わってくる温もりに、今までずっと感じていた…胸がキュッと締め付けられるような、痛いような感覚が消えていく。
　後ろ髪を梳くように撫でている手が心地良い。
　でも今度はそれが…少しずつ鼓動を逸らせていくのが分かった。
　また、落ち着かない気分になる。

　それなのに、それが嫌だと思わない自分がいる。


　何故、この人の手は平気なのだろう。



「馬鹿。…惚れた女が傷を負うって分かってて、放っておけるわけねえだろ？」



　不意に耳元で聞こえた少し掠れた小さな声。

　一瞬…言われた言葉が全く理解出来なかった。

　ちゃんと公用語だったはずだ。
　アルベド語でも多少なら分かるはずなのに。

　単語一つ一つの意味はちゃんと分かっているのに、理解が出来なかった。
　パインは頭の中でゆっくりとそれを頭から反芻し始めて、再び頭が真っ白になった。


「えっ？」


　何とも間の抜けた応えを零すと、ギップルが少し腕を緩めて顔を覗き込んでくる。
　一つだけの眼差しが苦笑を湛えていた。
「何だよ。そんなに驚く事か？」
　驚くどころか…頭の中が混乱していた。


　ドクドクと一気に心臓が激しく鼓動を打つのが分かった。


「…惚れ…って、あんたが私を？えっ？あの好きって…」


　舌が縺れて巧く言葉が出て来ない。
　自分が今まで…あの時の言葉の意味を取り違えていた事に気が付いてしまった。
　それでもやっと拾い上げて、紡ぎあげた次の瞬間、ギップルは肩口に頭を乗せて…溜息を付いた。


「…やっぱ…なあ」


　その声は苦々しいものを吐き出すような声に聞こえた。
　背中を抱き締めている腕に力が篭もるのを感じた。


「だ、だって…そんな…」


　思考が追いつかない。


　その抱き締めてくる温もりから逃げ出したかった。
　でも…身動き一つ出来ない。


「…パイン」


　焦れたような、沈黙を嫌がるような…耳元に触れた名前を呼ぶ声に、痛いくらいに鼓動を激しく打っていく。
　これ以上、腕の中にいたら心臓が破裂してしまう。

　情けない事に…また泣いてしまいそうだった。


　…馬鹿！何でこんな時にそんな事言うんだよ！



終



ギプはどうやら我慢がきかなかったみたいです。バカだよなあ。
お題61・バカ：２００５０１０５：シアーズ