５９・映像スフィア
…ヤバイ！かなりヤバイって！
何度も繰り返した内心の叫び。
それと同時に湧き上がる、悔しさにも苛立ちにも似た焦り。
『君がなかなか取りに来ないから…ヌージに預けちゃった』
一癖どころか二癖も三癖もある…にこやかな顔でそう宣言されて、一瞬自分の耳を疑った。
…何をしゃあしゃあと「預けちゃった」だ！
『中身見たら返すように頼んであるから…』
陰に含んだ言い方に背筋が寒くなった。
この男が自分の元に返すように頼んだとは到底思えない。
どう考えても嫌がらせとしか考えられなかった。
…この！腹黒議長！
ギップルは頭に浮かんだ罵詈雑言を口にする間も無く、通信を叩き切った。
そんな間も惜しかったのだ。
バイクでジョゼを飛び出したギップルは、脇目も降らず、ただ一直線に街道を駆けた。
勿論、フルスロットルで。
キノコ岩を抜け、青年同盟本部に辿りついた時には、乱れた息が止まらずに全身で呼吸をしなければならない状態だった。
正直、座り込みたい心境だったが、そうもしていられない。
案内は不要だと、半ば強引に執務室へと急いた。
何事かと不安そうに窺ってくる見張りの同盟員を無視して、ギップルはノックもおざなりにその扉を押し開ける。
「ヌージ！」
珍しく大人しくデスクに陣取っているこの部屋の主の名を大声で呼ぶと、彼は小さく肩を震わせ始めた。
「思ったより早かったな」
「何を暢気に言ってんだ。アレはどうした？」
「アレ…？」
分かっているだろうに…業とらしく問い返されて、ギップルは溢れて止まない苛立ちと焦りにデスクを拳で叩いた。
「バラライがあんたに渡したアレだよ！」
「あぁ、あれか？…今は手元に無い」
ヌージは両手を持ち上げて手のひらを晒して、惚けたように軽く肩を竦めた。
「あ、あんな危険な代物をどこにやったんだよ？！」
「危険？少々懐かしい映像が映っていただけだったが？」
確かにそうなのだ。
アレには、今では素直に懐かしいと互いに思い合える光景が収まっている。
だが、だからこそ厄介な代物なのだ。
「元々…アレは、俺が受け取る事になってたんだぞ」
「その様だな。悪いが少々待ってくれ。直ぐに手元に戻ってくるはずだ」
灰青の瞳がゆっくりと細められていく。
そして、面白がるような口の端の笑みに最大級の悪い予感がした。
ギップルは血の気が引くのを感じてしまった。
顔が強張りを通り越して、引き攣ったのが分かった。
「ま、まさか、あんた、アレを…」
急激に口の中が乾いて、舌が思うように動かない。
そんな俺を見ていたヌージはトドメとばかりに、ニヤリと笑った。
「つい今し方な」
一瞬頭の中が真っ白になった。
どんな言葉を発して良いのか分からない口が戦慄く。
「こ、こ、この悪徳盟主！」
「人聞きの悪い。あいつだけ退け者にするのは忍びないと思っただけだが？」
「抜かせ！俺に対する嫌がらせだろうが！」
「…今ならまだ間に合うかも知れないぞ？」
少し前に書庫に行ったばかり…との言葉に、ギップルは更に食ってかかりそうになったのを引っ込めて、慌てて執務室を飛び出した。
「あ〜！もう！揃いも揃って、俺に一体何の恨みがあんだよ！」
閉め忘れた扉からヌージらしからぬ大笑いが溢れ出し…背中を追いかけてきたが、それに構っている余裕など無かった。
彼女にアレの中身を見られるのは、かなりマズイのだ。
勢いに任せて飛び込もうとした扉を前にして、不意に冷静な思考が過ぎる。
ギップルはドアノブにかけようとしていた手を咄嗟に引っ込めた。
もし彼女がまだアレを見ていないとして、何と言って手放させるべきなのか思いつかなかったからだ。
…何でもっと早くそれを考えなかったんだよ。俺って…馬鹿。
替え玉でもなんでも用意して、言葉巧みに取り戻す方法だってあったはずなのに。
彼女の事だ。納得しなければ決して手放すまい。
意味も無く辺りを見回してみたり、ガシガシと頭を掻いてみたり、目を閉じて首を傾げてみたり。
しかし、何も浮かんで来ない。
妙案が何も浮かばないまま焦りばかりが募る。
いや、焦るから何も浮かばないのか。
こんな事をしている間にも、もしかしたら…
ウダウダ悩むのは性分じゃない。ここは賭けに出るしかない。
ギップルは全身の力を抜くように長く息を吐き出すと、そっと扉を開けてみた。
薄く開けた隙間から覗き込んでみるが、本棚に埋め尽くされた部屋は奥まで窺う事は出来ない。
無意識に嚥下した音が殊更大きく聞こえた。
足音を忍ばせて中に踏み入る。
本棚の陰から視線を巡らせると、見間違えるはずのない横顔が見えた。
パインは指先で木箱を軽く撫でながら、小さく苦笑した。
あちらを向いているので顔までは見えないが、そんな気配がした。
木箱の蓋を開けた彼女は、丁寧な仕種で中身を取り上げて両手で目の前に掲げる。
その手の中でスフィア特有の淡い色が揺らめいていた。
誤魔化しようのない焦りが込み上げる。
…うわっ、どうすんだよ。俺！
ギップルは纏り切っていない思考に、出るに出られず、引くに引けない状態に陥ってしまった。
身動きが取れないままに見守っていると、唐突にパインがこちらを振り返った。
「誰？」
冴えて響く声が誰何する。
あまりにも突然の事で、心臓が止まるかと思った。
こちらに気が付いたパインは唖然としたように唇を薄く開けたまま、緋色の瞳を瞬かせる。
「…誰かと思えば。どうしたんだ？そんな所で」
「え？あぁ…まあ、パイン先生が来てるって聞いてさ」
嘘ではない。嘘ではないが…。
無意識に向けた視線の先に気がついたのか、パインは手にしていたスフィアへと視線を戻す。
「あぁ、これ？アカギの頃のスフィアなんだってさ」
「へ、へえ、そうなんだ」
「どこかの班の記録係が撮ったものなのかな…」
ヌージは勿体ぶって教えてくれなかったんだ…と、少し不満そうに零したパインはそのスフィアを再生装置へと乗せた。
ギップルは正直逃げ出したい衝動に駆られた。
「邪魔するのも悪いから、俺…行くわ。ちょっとでもパイン先生の顔を拝めただけで満足だし…」
「折角だし一緒に見ない？」
そう言ってくれるのは正直本当に嬉しいのだが、如何せん…状況が状況なだけに、一刻も早くここを立ち去りたい。
「別に俺、スフィアに興味ねえから…」
再び振り向いた緋色の瞳が戸惑いと怪訝を映して、小さく震えた。
そんな顔をされるとは思っていなかっただけに、ギップルは次の言葉を見失ってしまった。
パインは小さく唇を噛んで、視線を落としていく。
「そっか…」
小さく零れ落ちた呟きは、何を納得してのものか分からない。
何か妙な誤解をされたような気がして、今までとは違った意味で鼓動が逸る。
「…悪いな。引き留めて」
…引き留める？
何気なく聞き流してしまいそうな言葉が思考を揺さ振った。
パインはまるで何も無かったように装置のスイッチへと指を伸ばしていく。
「パイン先生？」
「スフィアに興味は無いんだろ？さっさと行けよ」
問いかけに返ってきたのは、普段通りの素っ気無いまでの冷たい響き。
「確かにそうだけど。さっきの台詞の意味には興味があるな」
ギップルはパインの伸ばした腕を掴むと自分の方へ振り向かせ、その体を引き寄せた。
収めた腕の中で身を捩って抵抗しながら、パインは声を荒げる。
「な、何が、邪魔するのも悪いだ。離せって！」
「引き留めてって、俺と一緒にいたかったって事？」
「自惚れるのもいい加減にしろよ。そう言う意味じゃないってば」
逃すまいとする腕から何とか逃れようと抗う弾みで、傍にあった机がガタン…と大きな音を立てた。
それに続いたのは硬質な物が落ちた響き。
二人はどちらが先とも付かずに思わず動きを止めて、顔を見合わせてしまった。
「ギップル…」
咎めるようなパインの声に、ギップルは頭を掻いて誤魔化してみた。
「悪りぃ…」
「割れでもしたらどうするんだよ」
簡単に割れて見られなくなってしまえば、どんなに心穏やかになれるだろう。
「スフィアはそんな柔じゃねえだろ？」
ギップルは溜息一つ付いて身を屈めると、床に転げ落ちたスフィアへと手を伸ばした。
…あれ？
手にしたスフィアの中で光が踊っていた。
覗き込んでみると、象牙色の砂の世界と人の姿が映っている。
コレにそんな映像が映っているはずがないのに。
「どうした？」
怪訝そうに問いながら、パインが直ぐ傍でスフィアを覗き込んでくる。
「コレって…」
「あっ…今ちょっと映ってなかった？」
何がと訊かなくても分かった。
いつ映されたのかさえ分からない１コマ。
撮影者の意図では無かったであろう…その構図の端っこに、四人の姿があった。
ヌージは一人そっぽを向いて我関せず。
バラライはパインに何やら話しかけていて。
俺はそれに茶々をいれているようだった。
…確かに、ちょっと懐かしい映像だけどさ。
感傷めいた感情より、やられた…と言う気持ちが先に立った。
ヌージに、いや、あの二人に完全におちょくられたのだ。
パインに手渡したと聞いて心臓が止まる思いだったというのに。
今までの苦労や動揺は一体何だったのか。
ひどい脱力感と共に深い溜息が溢れ出す。
「焦ってやって来たって言うのに…」
「…何で？」
「そりゃ、このスフィアが…」
無意識に答えそうになった相手が誰であるのか思い出して、ギップルは慌てて口を噤んだ。
横目にそっと窺ってみると、じっと見詰めてくる眼差しがそこにあった。
ややあって、綺麗に彩られた唇が笑みの形を作っていく。
「なあ…ギップル」
だが、鮮やかな緋色の瞳は決して笑ってなどいなかった。
半眼で見据えられて体が動かない。
思わず冷や汗が出た。
「…あんたはコレに何が映っていると思ってたんだ？」
…ヤバイ。マジ墓穴。
終
また長い話だし。何だかどんどん話が膨らんで長くなってしまうのよねえ（溜息）
さて、ギプくんはどうなってしまうのやら。
お題５９・映像スフィア：２００５０５２９：シアーズ