58・ペナルティー


 いつのまにか、それは深く浸透していて…自分でも手に負えないくらい満ち溢れてしまっていた。
 正直…癪に障る。
 何だか、良いように刷り込みされたような気がしてならないからだ。
 でも、それを無視する事など出来なかった。


「なあなあ…パイン先生」

 相変わらずの軽い調子で声をかけてくる男の顔を見た途端にパインは眉根を寄せた。
 そんなこちらの顔を見た相手は、一瞬…怪訝そうに一つしかない目を瞬かせる。

「何?」

 半ば邪険に扱うような声にも負けず、ギップルはいつものように屈託無く笑う。

「相変わらず無愛想だなあ」
「悪かったな」

「別に悪かねえよ。俺…好きだもん」

 一瞬、呆気に取られたと言うか…戦意を削がれたと言うか、パインは二の次が続けられなくなって、
思わず小さく舌打ちをしギップルを睨み上げた。


 これ以上、この男の前にいると何を口走るか分からない。


 パインは踵を返して、停泊しているセルシウスへと歩き出した。

「あ〜もう!パイン先生!」

 慌てたように声を上げて追ってくる気配をパインは無視する事を決め込んだ。
 訳の分からない感情が溢れ出し、苛立ちが込み上げる。


 ギップルが好きだと連呼するようになったのは、彼から自分に向けられる感情をこちらが知ってからだ。


 追い求めてした真実を手に入れ…昔馴染み達との関係も修復し、漸く自分にも訪れたナギ節。
 周囲も穏やかになり、気持ちにも少し余裕が出来た。
 前向きに何か新しい事でも始めようと思っていた矢先だった。

 仲間以上でも以下でもなかった男から想いを告げられて、戸惑わない訳が無い。

 依頼された仕事で一緒に出かけてから、ルカの街の案内やシアターのイベントに付き合う等、
ギップルとは時折会っていた。
 だが、こちらは全くその気は無く、遊び相手が一人増えたようなものだと思っていた。
 ユウナやリュックと同レベルの存在でしかなかったと言うのに。



 それなのに。



「…そんなに怒んなって。なっ?」

 歩調を合わせるように隣を歩き出したギップルは、傍から顔を覗き込もうとしてくる。


「それ以上近づくな…」


 威嚇の一瞥を放って、パインは歩みを速めた。

「じゃあ、ここまでなら良い訳ね」


 その…あっけらかんとした声に、沸々と煮えていた苛立ちが一気に噴き零れそうになった。
 パインは唇を噛み締めて、その衝動を耐えた。
 その苛立ちの要因の一つでもある感情さえも噴出してしまいそうな気がしたから。

 異性を好きと言う気持ちが巧く分からなかった。
 だから自分にとって近しい存在の全てが「仲間」だった。

 ユウナが愛らしく頬を染めて…麗しの君の話をするのを見て微笑ましく思う。
 でも、自分がそんな風に誰か好きになるなど難しいと思っていた。
 それより益して…自分に対してそんな感情を抱く者など現れないと思っていた。



 大切な仲間だった。
 それなのに。



 四人がもう元のカタチに戻れないのは分かっている。
 それぞれに皆…違う道を歩き始めているのだから。
 でも、四人はいつでも…どこかで繋がっている。

 それがまた再び壊れてしまうようで恐いのかもしれない。



 そして…この男の存在を五感が感知すると、全神経がそれを確かめようとする事も。

 本当にそこにいるのだと分かって、何故か安堵する己自身が分からない。



 最初はそんな事は無かったのに、触れられたせいなのだろうか。
 それとも、一緒にいる時間が増えたせいだからだろうか。
 あんな事をしたのが間違いだったのだろうか。

 パインは胸の中に痞えているものを吐き出すように、大きく息を吐き出した。
 今更後悔しても遅いのだと分かっている。
 でも、ただ…彼の飢えを満たそうとしただけの行為が、今になって自身を苛む。


 与えていたつもりで与えられていた温もり。
 それに縋ろうとする自分の弱さが嫌だった。



 …それは決して好きと言う感情じゃない。ただの依存だ。



 でも、そうだと分かっていながら、
「…何で…」



「何が?」

 不意に飛び込んできたギップルの声に、パインは無意識に声に出して呟いていたのだと気が付いた。
 いつの間にか俯いていた顔を上げると、最近…見慣れた苦笑を湛えた緑の瞳に行き当たった。
 そんな顔を見ると鼓動が逸り出すから困る。

「い、一体…どこまで付いて来る気だ?」
「ユウナ様から俺宛てに何か預かってねえ?」

「えっ?」

 あまりにも唐突な言葉にパインは幾度か瞳を瞬かせて、小首を傾げた。
 それを真似するようにギップルも怪訝そうな表情を浮かべていく。

「あれ?おっかしいなあ。パイン先生に渡しておくって聞いてたんだけど」
「ユウナからあんたに?別に何も…」

 無い。

 そう言おうとしたパインは、ユウナからではなく…里帰りする彼女をビサイドに送った際に、
ユウナの麗しの君から手渡されたモノを思い出した。
 それが顔に出たのか、ギップルは嬉しそうに瞳を綻ばせた。

「思い出した?」
「悪い。思い出した。部屋に置いてあるんだ。取ってくる」

 逃げ出すのは性分ではないつもりだったけれど、こんな時には…それしか思い浮かばなかった。

 …そのままトンズラするか?





 自分の存在を曖昧なものにしたくなくて、ここにいるのだと分からせたくて何度も何度も繰り返す。
 「好き」なんて、簡単に言える言葉だと思っていたのに、正直…茶化して口にする事すら勇気がいる。
 でも、もう…宙ぶらりんに逆戻りは嫌だったから。

「これ…だよな」

 かなり時間が経って漸く戻ってきたパインが差し出してきた封筒を受け取ると、ギップルは中身を確かめてみる。
 ユウナに、と言うよりその麗しの君に頼んでいたものを確認してから、ギップルはちらりとパインへと視線を投じた。

 静かな眼差しがこちらを見詰めていた。
 何かを窺っているような、それでいて…何も考えていないような、感情が読めない眼差し。


「…中身、気になんの?」

 問いかけると、途端に緋色の瞳が揺らいだ。

「べ、別に…」
「見たい?見たい?」

「興味無いってば」


 あれ?と気が付いた。
 そう怒ったように言うのは、こちらが無視出来ない状態なのだと分かってしまったのだ。


 …意外と反応が素直なんだなあ。


「ほらほらっ。見てくれよ。良い席なんだぜ」

 ギップルは封筒の中身…ブリッツボール開幕試合のチケットを取り出すと、自慢げにパインの目の前に差し出してみる。
 一瞬…ぴくっと柳眉が跳ね上がったが、それでもメゲずにいると…ややあって、ちらりと窺ってくる。



「あのさ…」



 ちょっと神妙な声に腰が引けそうになった。

「何?」
「こんな私といて楽しいのか?」

 心中は複雑だけど、正直嬉しい。
 ギップルは首振り人形のように何度も頷いて答えた。

「勿論」

 パインは複雑そうな表情をして、困ったように眉を寄せて…フイッっと顔を逸らした。


「…物好き」


 ボソリと呟かれたパインの言葉に、ギップルは大いに頷いてみせた。

「物好きで結構。ライバル増えたら困るし」

「あんたって変」
「そうか?」

「絶対…変だ」

 そこまで力説しなくても…とは思ったが、先程までの避けられているような状況よりはマシかもしれなかった。
 それに、口に出したらシメられるかもしれないが、パインの困ったような顔は何とも可愛らしいのだ。
 普段はあまり表情を出さないから余計にそう思えるのかもしれない。



 …もっと、もっと俺を見て。

 …もっと、もっと君を見せて。



 まるで子供みたいだと自分でも思う。
 好きな女の子を振り向かせたくて、態と意地悪をする子供みたいだと。
 でも、決して無視出来ないくらいに…刻み込みたい。


 そう…誰よりも。


「なあ…パイン先生」
「何?」

 もしかしたら今度こそ玉砕かもしれない。
 それでも、ここまで来て何もしないで手を拱いてなどいたくない。


「ブリッツ…一緒に観にいかねえ?特等席だぜ」


 一瞬…見開かれた緋色の瞳。パインは唖然としたような顔でこちらを見詰めたまま動かなくなった。

 その沈黙の間が物凄く長く感じられた。心臓がバクバクと激しく打っていく。




 綺麗に彩った唇が微かにわななく。



「ぜっ…」




 絶対に嫌…と言われるのかと思って、正直肝が冷えた。


「絶対変だからな!」


 目の前で叫ばれたから、耳に響いた。
 思わず身を竦ませた次の瞬間には、バタバタと走り去る後姿。
 ギップルはガチガチに強張った体を解すように、空を仰ぎながら溜息をつく。


 またもや答えの無いままに逃げられてしまった。


 …パイン先生。それってズルいぞ。







うーん、ペナルティーはどっちなのでしょうね。
お題58・ペナルティー:20050109:シアーズ