４４・星を眺めて


　夜空は晴れ渡り…無数の星が煌いていた。


　パインは海へと突き出た見晴らし台に立ちそれを仰ぎ見ながら、そっと吐息を零した。

　やっと、本当の答えを見つけたような気がした。
　それにはまだ少し戸惑いを覚えるけれど、決して無視する事の出来ない感情。


　思考を遮る…引き擦るような足音が聴覚を刺激する。
　既に聞きなれた足音。
　パインはそれが誰のものか分かっていた。



「…夜風に当たり過ぎると体が冷えるぞ」

「ちょっと酔い覚ましだから、これくらいが丁度良い」
「キーリカの酒は余程口に合うようだな」


　苦笑めいた声と共にヌージが傍へと立った。

　結局のところ、詫びにと出された「とっておき」で誤魔化されてあげたのだから、我ながら結構甘い。
　強いて自分に言い訳をすれば、憤りを向けるべき相手はヌージではなかったから…だ。

　嵌められたギップルも私が関与するまでも無く、決着を付けて美酒に舌鼓を打っている。
　二人の間で何を語られたのかは知れないが、酔い出す前から何やら機嫌良く思えたのは気のせいだろうか。

　闇に覆われた海を見詰める横顔を見上げて、パインはそっと微苦笑を刷いた。



　何故なのか。

　そう考えた末に行き着いた新たな疑問。

　…ヌージは気が付いているのだろうか？

　でも、そうでなければあの茶番劇の意味が分からない。
　会うきっかけを与えてくれただけ…とは、とても思えないけれど。


　いつからこんなお節介になったのやら。



「ねえ…ヌージ。いつから知っていたの？」


　海からの風に髪を弄ばせながらパインは小さく訊いてみた。
　それ以上の言葉は無くてもヌージには通じたようで、彼は小さく肩を震わせた。


「出し惜しみをするべきではない相手が誰かか？」

「まあ、そっちのような、違うような…」


「どっちも同じようなものだろう。『あんたまで物好きな訳？』辺り…でだな」


　それは、あの嵐の夜の後…芽吹き始めた戸惑いや疑問を持て余してヌージに話をした時の事だ。
　かなり迂闊だったかもしれない。
　些細な言葉の選び方一つでこの人は最初から察していたのだ。


「ヌージと話す時は注意しなきゃ…」
「それに、最近…あの馬鹿の浮き沈みが激しかったからな」

「もしかして、あいつの気持ち…ずっと知ってた？」

　ギップルはかなりの時間…メゲずに求め続けてくれた。
　その根気強さとしたたかさには感歎する。


「あいつはずっとお前ばかり見ていたぞ？お前…そう言うところは妙に疎いんだな」

「悪かったね」





　ちらちらと瞬く星を見上げて、パインは長い吐息を吐き出した。

「…でも、これは、少し怖い感情な気がするんだ」


　今までに覚えの無い、初めて感じた感情。

　その情にがんじ絡めになってしまいそうな懸念さえ感じる。
　ただでさえ、一度思い悩んだらなかなか抜け出せない性分なのに。

　ヌージは低く笑いを立てて、パインの髪をクシャクシャと掻き混ぜた。
「でも、あいつなんだろう？」

　パインは髪を乱していく大きな手を払って、軽く唇を尖らせる。
「何でかは…はっきりとは分からないけど」


「おやおや、それではあいつも報われないな」


　苦笑を湛えた眼鏡越しの眼差しに、パインは何もかもを見透かされているような感覚さえ湧いた。
　それから逃れたくて、何も見えない…穏やかな波音を立てる海へと視線を投じてみる。


「あ、あれがきっかけだなんて思いたくないんだ」
「それは、そう思ってしまう己を否定したいのか？」

「ち、違う。私は…」


　抱かれたから好きになったのではない。
　想ってくれるから応えるのではない。


　パインは微かに言い澱んで小さく唇を噛んだ。


「…あいつがいれば、私が私でいられる気がしたから」


　それは違う認識だとも思う。


　…彼がいれば、自分は変れる気がしたから。


　全く異なる意味であり、同意でもある思い。


　依存と嫌悪し、避けて通っていた感情を受け入れる事が出来たのは、そうではないのだと彼が教えてくれたから。
　欠けてしまった己の一部を埋めてくれる気がしたから。
　己を守る為に切り捨ててきたモノを持ち続けていた…彼の強さに魅かれたのかもしれない。

　そして、心を掻き乱される苛立ちの後に湧き上がる、あの奇妙な安堵に気が付いてしまったから。


　今でも戸惑いは覚える。不安も感じる。
　でも、それでも…抗う事など出来なくて。


「そうか。ならばそう言ってやると良い」


　その言葉に、パインは自分の考えがそこまで行き着いていなかった事に気がついた。


　やっと分かったのは己の気持ち。
　愛や恋と呼ぶには曖昧過ぎるけれど、あの存在を自分は必要としている。
　周囲にいる誰よりも一番好き…と言うより、彼だけが特別。

　でも、それを相手に伝える事までは思考が追いついていなかった。


「言う…って。あいつに、か？」


　あの男に向かって…「好き」などと口にしている自分を想像しただけで頬が熱くなっていく。
　離れた場所で焚かれている篝火の色がこんな所まで届く訳もなく。

　ヌージはその色の変化が手に取るように分かったのだろう、遠慮も無く噴出された。


「俺に言っても意味が無いだろ？」
「い、言える訳ないだろ？そんな事」

　そんな事が簡単に口に出来るなら苦労しない。

　くくくっ…とヌージは低く笑いを立てて、無造作にパインの頭を撫でた。
　それはまるで、子供をからかうような仕種だった。


「まあ、お前の好きなようにしろ。俺が口出しをする事ではないからな」
「そりゃ…そうだけど」


「でもな。これだけは言っておく」


　至極静かな、そして低く響き染み込んでくる声。
　明らかに今までとは違う声音だった。

「何？」
「俺はお前とのスタンスを変えるつもりは無いからな」

「私もそのつもりだけど？」

　珍しく真面目そうに言うと思ったら…と苦笑して問い返すと、ヌージは盛大に溜息をついてくれた。


「何だか、あいつが可哀想に思えてきたな」
「…何で？」


　顔を顰めて反論をすると、呆れて物も言えないとばかりに再び溜息を付かれた。


　見上げたその肩越しの向こうで星が瞬いていた。
　まるで忍び笑いをしているかのように。



終


ヌパ内緒話第二弾（笑）
かなり以前から出番待ちにされていたお題。これが書きたくて…舞台を本部にしたようなものです。はい。
お題４４・星を眺めて：２００５０６１３：シアーズ