４２・おはよう


　腕に絡む温もり。


　それは、まるで大事なものでも抱えているかのような抱擁だった。
　指先がしっとりとした感触に行き当たる。
　それが素肌特有のものだと分かって、ギップルはまどろみから一気に浮上した。

　誰が傍にいるのかを思い出したからだ。


　目を開けて、直ぐ傍にあるであろうその顔を見ようとした瞬間…視線が合った。
　間近にある緋色の眼差し。

　それが硬直したようにこちらを見詰めていた。

「い、いきなり起きるな。ビックリするだろ？」


　…それはこっちの台詞だ。


　まだ寝ているのだとばかり思っていたから、かなり驚いた。
　目覚めた直後の心臓に悪すぎる。

「起きてたのか？」

　記憶違いでなければパインはかなりの早起きだったはずだ。
　そのパインがまだ寝台にいる。
　特に早く起きる理由もない今はゆっくり寝るようになったのか。

「うん、まあ…」



　パインは歯切れの悪い返事をしながら、ギップルの腕に絡めていた腕を解き、ゆっくりと半身を起こしていく。
　ケットが肌を滑り、露出の高いラフな部屋着を纏う…透けるように白い肌が現れた。
　その光景にギップルは言い知れぬ幸福感を感じてしまった。


　昨晩は邪魔が入って触れる事を許しては貰えず、キスすら出来ず、半分不貞腐れたまま眠りに入ったと言うのに。




　パインは寝台の上に座り込むと、大きく伸びをして体を解していく。


「もしかして、俺が起きるの待ってた…とか？」


　その言葉にパインの動きがピタリと止まってしまった。
　意外と…正直な反応をする。


「起こすの、悪いと思ったからな」


　少し動揺したような声とプイッと顔を反らした仕種が何とも可愛らしい。
　ギップルは嬉しくなって、パインの腕を掴むと振り向かせようと軽く引いた。
　勿論、それくらいで振り返ってくれる相手ではない。

「お気遣い頂いて何だけど…。パイン先生、忘れちゃった？」

　完全に安全だと分かる場所での…寝起きの悪さ。
　それが原因でこの元記録係には散々怒られた。

　パインは一瞬息を飲んで、弾かれたように振り返ってくる。
　どうやら思い出したらしい。


「…忘れてた。あんた、蹴飛ばしても起きないんだった」

　忌々しそうな舌打ちと共に顰められる顔。
　どれくらいの間…身動きもせずにいたのか分からないが、それが無駄であったと言わんばかりの表情だ。

「ホントに蹴飛ばされたもんなあ」


　しかも手加減無しで…だ。


　お陰でその日以来、爆睡はしなくなった。
　そこが完全に安全な寝床ではなくなったからである。

「当たり前だ。莫迦」

　剥れたような表情をして再び顔を反らされた。

　ギップルは小さく肩を震わせると体を起こして、相変わらず素っ気無い彼女の体を背中から抱きこんだ。
　さすがに身を捩って逃げ出そうとするが、それを押さえ込んで剥き出しの肩口に唇を寄せていく。




「…おはようのキスは無し？」

「そんなモン有る訳ないだろ…」



　身を竦ませながらも、パインは冷たい程に素っ気無く答える。
　そのギャップが笑みを誘うのだと気が付かないらしい。



「お預け食らって欲求不満なの。俺」

「だから？」



　今度は少し動揺したような声。


　ギップルは銀糸の髪に頬を寄せながら、抱き込んでいた手をゆっくりと動かしていく。
　先程まで指先に触れていたであろう…太腿に。

　途端にパインの体が小さく跳ね上がった。

「ば、莫迦、よせって。朝っぱらから何考えてるんだ」


　パインは抵抗しようともがくが、腕ごと拘束しているのでそれも容易くは出来ない。


　数拍置いて、その腕を少しだけ緩めた。

　彼女がその隙を見逃すはずはない。




　案の定…パインは渾身の力で腕を振り解くと、肘鉄を食らわせる勢いで振り向いてくる。
　その肘を後ろに倒れこむ事で交わしたギップルは、空を切った腕を掴むと勢い良く引き寄せた。。

　体勢を崩したパインはひゃっ…と短い悲鳴のような声をあげる。


　倒れ込んで来た体を受け止めて再び腕の中に収めると、洗いざらしの髪が頬を擽った。






「…おはようのキスは？」






　再び問い掛けると、肩越しに枕へと顔を埋めたパインが低く唸るような声を立てたのが聞こえた。

　一瞬の油断が悔しかったらしい。






「勝手にしろ…」


「こっち向いてくれなきゃ出来ない」



　再び…呻きのような唸りのようなくぐもった声が聞こえた。
　それを宥めるように解いた手で何度と髪を撫でていく。

　それが最後の抵抗だった。

　パインはのろのろと頭を動かし、顔を向けてくる。
　悔しげであり…そして不貞腐れたような眼差しが現れた。


　吐息がかかる程に間近な距離。


　数度瞬いた緋色の瞳が覚悟を決めたように閉じられていく。
　困ったように眉根を寄せたまま。


　…そんな顔で目閉じるなって。本当に襲っちまうぞ。
　ただでさえ欲求不満なのに。


　ギップルは苦笑を刷いたまま、その柔らかな唇にそっと触れた。



終


お題挑戦直後から出番待ちだったネタです。ＵＰするのに半年以上もかかるとは…。
しかし、くっ付いた途端、すっかり「いちゃつくカップル」になってしまった気がするのは気のせい？（汗）
お題42・おはよう：２００５０７０１：シアーズ