３８・ハニースマイル
往きは象牙色だった砂が、朱金に染まっている。
夕陽の名残が追いかけてくる。
刻一刻と色を変えていく世界をぼんやりと眺めながら、パインは大きく息を吐き出した。
思考が感情に振り回されて、クタクタになっている気がする。
…コイツのせいだ。
そう思った瞬間、まるでその考えを読んだかのようにバイクが突然停止した。
半ば無防備だった体が前へとつんのめり、ギップルの背中に横っ面を打ちつけそうになった。
「い、いきなり止まるな。馬鹿」
「だから、ちゃんと掴まってろって言っただろ？」
思わず飛び出した抗議に、ギップルは肩越しに振り返って小さく笑う。
確かに忠告はされた。
でも、どうしても凭れる事に抵抗を覚えて、軽く腕を絡めるに留めたのだ。
「…悪い。ちょっと休憩な」
「休憩？先を急いだ方が良いんじゃないのか？」
右も左も朱金の砂の世界。
所謂…砂漠の真っ只中だ。
「もう直ぐ日が落ちるからな。安全策をとっておこうと思ってさ」
そう言う事態になってしまったのは、私のせいでもある訳で。
危険を回避する為と言われれば、頷かざるを得ない。
ギップルは付けていた砂よけのゴーグルを外し、括りつけてあった荷のポケットから小瓶を取り出した。
手のひらで包んでしまえそうな程小さな瓶の中には、淡い色を放つ物質が入っている。
私は、それが見慣れた色を放っている事に気がついた。
「それってスフィア？」
「そっ…スフィアの欠片。パイン先生はスフィアが何だか知ってる？」
それは、空気が何か、水が何か…と訊かれたのと同じで、明確な答えに窮する問いだった。
差し出されたそれを受け取って覗き込むと、微妙に色が違う欠片が収められていた。
砕かれた小さな欠片たちが瓶の中で涼しげな音を立てる。
「エネルギーの塊みたいなモノだと思ってるけど…」
「まあ、そんなトコだな。あんた達は検索装置でスフィア波を探して、ハントに行くだろ？」
スフィアから放たれるエネルギーの波動をスフィア波と呼ぶ。
ある特定のスフィア波を探すのが検索装置。
その検索装置に引っかかったのを、自分たちはスフィア反応と呼んでいる。
セルシウスに乗って間もない頃、そんな講義めいた説明を受けたのを思い出す。
だが、その事と今の状況がどうしても結び付かない。
「そうだけど？」
「その応用活用でな。信号弾代わりにしようって訳。パイン先生、それ…投げてくれる？」
空に向かって指差したギップルのもう片方の手には、ハンドガンが握られていた。
何となく、ギップルがしようとしている意味が分かった。
確かに応用活用だが、よくもまあ…こんな発想を思いつくものだ。
パインはバイクから降りて視界を狭めているゴーグルを外すと、無言で相手の様子を窺った。
その眼差しに浮かぶは余裕の笑み。
「…いつでもどうぞ」
パインは一息付いて余分な力を抜くと、小瓶を手にした腕を大きく振るった。
スフィアが放つ淡い色が尾を引いて、綺麗な放物線を描き出す。
だが、それが完全に描かれる事なく、一発の銃声と共に小瓶が砕け散る。
キラキラと無数の輝きが弾け、そして…朱の空へと溶け込んでいく。
ちょっと綺麗かも…と、ささやかな感動を打ち破ってくれたのは…
「やっぱ。俺って天才」
至極満足げな自画自賛。
宙に放った小瓶をたった一発で仕留めるのだから、認めてやっても良いのだが。
「言ってろ。馬鹿」
口から飛び出したのは、やっぱり憎まれ口だった。
「あ、まだ機嫌悪い…とか？」
窺うように顔を覗き込まれて、パインは反射的に顔を逸らしてしまった。
「別に？」
そのお陰で居心地の悪い間が降りた。
ギップルの方もその沈黙に居た堪れなくなかったのか、傍で煙草の匂いがフワリと舞った。
それに誘われて何気なく視線を戻そうとした瞬間、嫌な感覚が肌を撫でた。
全身に緊張が走る。
パインは辺りを見回し、気配を探った。
「近い？」
ギップルは短くそう問いて、煙草を咥えたまま、手にしたハンドガンのカートリッジを確認する。
再び装填した音が重く響いた。
「いや…」
肉眼で捕捉出来ない距離の存在を感知出来る訳がない。
周囲に潜めるような場所がある訳でもなく。
背後を窺おうと片足を踏み込んだ…次の瞬間、その力の全てが吸い取られた気がした。
咄嗟に何が起こったのか分からなかった。
「…えっ？」
バランスを失った体を立て直そうとしても叶わない。
「パインっ！」
叫びが聞こえた時には、体勢が完全に傾いていた。
襲い来るふわりと不安定な浮遊感。
皮膚と言う皮膚が痺れるように粟立った。
一瞬…赤銅に染まった空が見えた。
全身を襲ったのは、砂のザラザラとした感触とあちこちを打ち付けた鈍い痛み。
それが止んだ時には自分がどうなったのかはっきりと分かった。
簡単に言えば、砂に足を滑らせ、斜面を転げ落ちたのだ。
砂丘の裾からの距離は確かめたはずなのに。
「痛っつぅ…」
何とか埋もれずに済んだらしく、呼吸が出来た。
だが目に砂が入って、痛みで開ける事が出来ない。
…最悪。
そう言う星の周期なのか、バイオリズムのせいなのか、何をやっても悪い方へと転んでいく気がしてならない。
「パイン先生！大丈夫かっ？！」
降ってくるギップルの声に、来るなと言いたかったが、口の中まで砂が入り込んで巧く喋れない。
唾液と共に何度も砂を吐き出してみるが、完全に取り除く事は出来なかった。
何とか手探りで状況を確認しながら体を起こしてみる。
痛みは感じるものの何とか動かせるようだった。
乾いた風が肌を嬲っていく。
封じられた視覚を補うように、感覚が冴えた。
嫌な気配が全神経をピリピリと刺激する。
何とか目を開けたくて、顔を何度か拭ってみるが痛みが増すばかり。
ザラザラと斜面を滑り降りてくるギップルの足音にさえ、感覚が過剰に反応し始めていた。
一種自己防衛本能なのだと自身…理解しているが、魔物だろうと人だろうと無関係に警戒しまうのは制御出来ない。
微かに触れた感触を咄嗟に打ち払っていた。
「機嫌悪いのは分かってるけどさ、それはねえだろ？」
明らかにムッとしたような声が傍で聞こえた。
「…違うっ」
頭では分かっている。でも、駄目なのだ。
「ああ、そっちね」
ギップルは妙に納得したように呟くと、無造作とも思える手つきで髪を掻き混ぜる。
砂を払ってくれているのだと頭では分かっていたが、強張った体が抗おうとしていた。
「…全開中？って厄介だなあ。それ。…右手掴むぞ」
態々予告をしてくれるのは、不意に触れば抵抗されると知っているからだろう。
導かれた先にあったのは服の手触り。
「掴んでろよ。俺だって分かるだろ？」
そこにいて、自分に触れているのがギップルである事は分かる。
そう思った瞬間、不要な感覚が閉じていくように思えた。
違う。
目の前の存在を感じ取ろうとしている。
そこにいるのだと、何度も確認するかのように。
それでも神経を逆撫でする嫌な気配は消えない。
それも…かなり近い。
ザワリと全身が粟立った。
体が臨戦態勢に入ろうとする。
剣を引き出すべく、ギップルの服を掴んでいた手を離そうとした瞬間…小さな舌打ちが聞こえた気がした。
「ちょっと我慢してろ」
その言葉を思考が飲み込む前に座り込んでいた体が前へと傾いた。
温もりが頬に触れた。
抱き寄せられたのだと理解した時には、体が勝手に抗ってしまう。
「大人しくしてろって！」
苛立ったような声が、頭上からと、そして頬を押し付けられている体から響いた。
強引に頭を引き寄せた手が耳を覆ったかと思うと、膜がかかった聴覚が銃声を捉えた。
立て続けに引き金をひく衝撃が、ギップルの体から伝わってくる。
痛みに開けることの叶わない目。
塞がれた耳。
パインは身を強張らせたまま、ただその銃声の終わりを待つしかなかった。
やがて、安堵の息をついたのか、ギップルの胸元が大きく動いた。
それと同時に、今まで掻き消されていた鼓動の音がはっきりと聞こえ出す。
耳を塞いでいた手が背中へと回り、更に体を抱き寄せられた。
「もう、大丈夫だから…」
染み入ってくる声と温もりに安堵を覚えて、私は自分の体が震えていた事にその時初めて気が付いた。
『なんだあ？お邪魔だったか？』
突然頭上から降ってきた揶揄に心臓が止まるかと思った。
驚いたのは自分だけではなかったのだろう、ギップルは弾かれたように腕を放した。
「お、遅っせえぞ。ピケット」
『もっと遅かった方が良かったんじゃねえの？』
何とも人間的な言い回しをしているが、相手は人ではない。
ピケット…砂漠の監視や発掘の案内をしている…空飛ぶマキナだ。
先程のスフィアで呼んだのはこいつらしい。
「うっせえな。ちょっと黙ってろ」
ギップルはそう悪態を付きながら、指先で私の目元をそっと撫でた。
言葉とは裏腹の優しい仕種で。
まだ、目の中がゴロゴロして痛い。砂が残っているのだろう。
「…このまま軽く目を閉じてろ。涙が勝手に洗ってくれる」
理屈では分かっているのだが、不快なのと視界を塞いでいる不安は拭えない。
「他は？どこか痛むか？」
体のあちこちで鈍い痛みはあったが、動けない程ではない。
小さく頭を振って答えると、ギップルは体を支えるようにして立ち上がらせてくれた。
「ごめん。ありがと…」
たどたどしいまでの言葉しか出て来ないのは、落ち着かない気分のせいだ。
…何か、変だ。私。
ギップルと一緒にいて調子が狂うのは毎度の事だが、それ以上に何かがおかしい。
漸く痛みが薄れ出した目を開けると、目の前には緑の眼差し。
驚いて瞬いた弾みでポロポロと涙が零れ落ちていく。
「…こりゃ、シドの娘にどやされんなあ」
「リュックに？何でだ？」
「俺が泣かしたと思われそうだな…って」
『あ〜あ。お前が泣かしたんだろ？悪い男だ』
頭上からの突っ込みに、ギップルは顔を顰めて舌打ちする。
「お前、煩い。一遍…撃ち落としてやろうか？」
『やれるモンならやってみな』
ピケットはギップルを挑発するように、くるくると頭上を飛び回っている。
「やってやろうじゃねえの？」
何とも低レベルな…子供じみた言い争いに、思わず苦笑が零れ落ちた。
「折角呼んだ道案内だろ？撃ち落して困るのはこっちなんだから…」
『そうだ。そうだ。そっちの姉さんの言う通り』
ギップルは剥れたような顔をして、恨めしそうな視線を送ってくる。
どうやらピケットの味方をしたのが気に入らなかったらしい。
「ほら、行こう。あまり遅くなると皆も心配する」
促しながら無意識に差し伸べた手。
それに驚いたのは自分だけでなく、ギップルもマジマジとその手を見詰めていた。
突如込み上げた気恥ずかしさに引っ込めようとしたが、それより先に大きな手に包まれてしまった。
「べ、別に手を繋ぎたい訳じゃ…」
ギップルは今までの表情が嘘のように顔を綻ばせている。
「認めちまった方が楽になるって言っただろ？」
「だから、違うって…」
「照れない。照れない」
…だから、勝手な解釈をするなってば。
そう心の中で抗議はしたものの、結局は口にすることが出来なかった。
あまりにも嬉しそうに笑うその表情に。
そして、手を包み込む温もりに。
終
修正と加筆でどうにかお蔵入りを避けられた感じです。
でも、どうしても話が区切れずに、お題で３番目くらいに長い話になってしまいました。（あうっ）
お題３８・ハニースマイル：２００５０５０４：シアーズ