３６・わたがしみたい
空に浮かぶ…やわらかな雲みたいにふわふわとして、それでいて甘い。
「今日は随分と客の多い日だな」
手に入れたスフィアを届けに…キーリカに設けられた青年同盟の支部を訪れると、最近そこに入り浸りの盟主が苦笑を
浮かべながら迎えてくれた。
「客？誰か来てるのか？」
「喧しい客が二人な。さっき…揃って寺院に出かけたところだ」
二人連れ…との言葉にパインは、もしかしてとも思ったが、多忙なバラライが態々キーリカにやってくる事などないだろう。
『あれは…僕に対する嫌がらせだね』
ヌージが青年同盟の支部をキーリカ設け、本部よりそちらにいる方が多くなった事をそう評していたバラライは、
絶対仕返ししてやると…漏らしていた。
いい歳をして子供の喧嘩かと呆れもしたが、以前のスピラを二分する諍いに比べたら可愛いものだろう。
そのバラライの仕返しなのか、ヌージも完全に政治の表舞台に引き出され…スピラ南部の復興開発事業の方が
本業になりつつあるようだった。
「寺院？参拝にでも行ったのか？」
「多分、そうだと思う」
その答えはヌージではなく、一緒に執務室に訪れたユウナから貰えた。
何故ユウナが答えを知っているのかと…浮かんだ疑問の裏で、パインは今になって寺院を参拝する意味を考えていた。
エボンの賜物を授かろうと訪れていた各地の寺院への参拝客も今では殆んどいないと聞く。
教え自体が意味を持たなくなったのだから当然の事だろう。
だが、キーリカの寺院だけは未だに参拝客が絶えない。
「あっ、必勝祈願か…」
導き出された答えに声を上げると、ヌージは小さく頷いた。
ユウナを見やれば少し落ち着かない様子でソワソワとしている。
「べ、別に、私はそれで来た訳じゃないっすよ」
明らかに動揺している様子につい…からかいたくなってしまうのは否めない。
「ねえ…ヌージ。待ち合わせだったらしいよ。どう思う？」
「ご馳走様と言うべきだろうな」
ヌージは肩を竦めてそう答えると、慣れた仕種で…指先で眼鏡を押し上げた。
「ち、違いますって！ちょっと…パインったら何言い出すの？！」
ユウナが真っ赤になりながら両手を振って否定をする様は、何とも可愛らしく思えた。
ヌージも同じように思ったのだろう、笑いが堪えきれなかったようで…肩を震わせている。
「今から追っかければ間に合うんじゃない？…って一人じゃないんだっけ」
「一緒に行って大召喚士様の為に一肌脱いでやったらどうだ？」
「邪魔者の相手をして二人きりにしてやれって？…で、誰なの？」
自分が知っている者なのかと窺うようにヌージを見上げると、彼は漸く笑いを収めて癖のある苦笑を刷いた。
そして、執務机の脇に設置されている…見慣れない装置を指差した。
「バラライと結託して…俺への嫌がらせのつもりか、そいつはこんな物を置きやがった」
あんたも子供か…と思わず溜息を付きそうになったが、それだけで答えは分かった。
バラライと結託しそうな、それでいて…そんな装置を設置出来る知り合いは一人しかいない。
心なしかユウナの歩調が早いのは気のせいだろうか。
その昔、大召喚士オハランドが現役のブリッツ選手だった頃にトレーニングをしていた…と言う逸話が残る長い石段も、
今のユウナにとっては何の苦にもならないものらしい。
「可愛いよな。ユウナって…」
「な、何っすか？いきなり…」
恋をしているってこんな感じ…と指せば分かるくらい、麗しの君の事が絡むと何とも可愛らしい反応をしてくれる。
「当に…恋する女の子だなって」
ビサイドへ頻繁に帰るようになったのは、多分彼がいるせいだろう。
パインは密かに…ユウナはカモメ団を辞めるのではないかと思っていた。
元々…ユウナは、彼らしい人物が映った…それはシューインであったが…スフィアをきっかけに旅を始めた。
求めていた答えが見付かった今、何も危険を冒してまで旅に出かける必要はないのだ。
『今度はね。彼におかえりって…いっぱい言って貰うんだ』
嬉しそうに、幸せそうに笑うユウナの顔は花が咲いたみたいに綺麗だった。
「そ、そう言うパインは好きな人とかいないの？」
「今後…乞うご期待って感じ？」
「あんなにイイ男三人に囲まれてたのに…誰も好みじゃなかったの？」
男三人…が誰を指しているのかは直ぐに分かる。それはリュックにも以前…訊かれた。
だが、自分にとって彼らは恋愛感情を抱く相手としては対象外だった。
そんな話をすると唖然とされるのは…リュックで確認済みだったので、パインは曖昧に誤魔化す事にした。
「おやおや…彼氏持ちがイイ男発言とは。言いつけてやろうっと」
「え〜！駄目駄目！」
慌てた様子でポカポカと肩の辺りを叩いてくるユウナは、スピラを救った大召喚士様とは思えない程…うろたえていた。
「そこのお嬢さんたち！お茶でもどうッスか？」
石段の上からかけられた声に、ユウナはひゃっ…と悲鳴のような声を上げて、弾かれたように上を見上げた。
あのユウナの口癖は彼の真似なのか、染ってしまったものなのか。
亜麻色の髪の青年が石段の上の方で手を振っていた。
ユウナはそれを見ると恥ずかしそうにパインの体を盾にして、彼の視界から隠れようとする。
「手…振ってるけど？」
「ちょ、ちょっと待って。心の準備が…」
それは、子供っぽくも、可愛らしい…まさに心ときめく女の子の台詞に思えた。
「大召喚士様をナンパする奴ってあんたぐらいだよなあ」
「あれ？俺は…お嬢さんたちって声かけたッスよ？」
意外だった…なのか、やはり…と言うべきか、何故かこの二人…ユウナの麗しの君とマキナ派のリーダーは結構仲が良い。
以前…すっかり様変わりしたスピラを案内する為に、彼を連れて各地を飛び回った事があった。
シンがいなくなって…と言うより、エボンの教えが崩壊して一番変わった場所、ジョゼを訪れた時…初めて顔を合わせたとは
思えないくらい意気投合していた。
どちらも屈託が無いし、陽気な性質のせいなのだろうか。
「じゃ…訂正、天下無敵のカモメ団をナンパするのはあんたくらいだよ」
「天下無敵ねえ。…そういや、一人少ないけど…リュックはどうしたッスか？」
「今日はデート…」
パインは冗談で言ったつもりだったが、ギョッとしたように振り向いてきた二人の視線に思わずたじろいだ。
「デート？リュックがッスか？」
「おい、男が出来たなんて…聞いてねえぞ」
リュックも普通の女の子だからデートする相手の一人や二人いるだろうと言いたいところだったが、実は別の仕事で出かけていた。
「冗談…なんだけど」
「リュックはルカでお仕事中っす」
マキナ派の台頭…と言うバックグラウンドのせいなのか、アルベド語を習いたいと言う声が各地であがっている。
ルカは元々開放的な街であった為に、その声が一番大きかった。
リュックはその依頼を受けて…ルカへと赴いている。
本人は恰好良い男の子でもいないかなあ…と浮かれて出かけて行ったが、結果がどうなのかは迎えに行った時の顔を見れば分かるだろう。
「あいつに教えるなんて出来んのか？」
「あんたが出来たくらいなんだから出来るだろ？」
自分がアルベド語を覚えたきっかけはギップルだった。
アルベド族も話をしてみれば自分達と何ら変わらないのだと分かったから。
ただ自分達とは、少し…思考や思想が違っていただけの事。
「そっかあ…パインってギップルさんにアルベド語教わったんだよね」
ユウナは感心したようにそう呟いていたが、教わったと表現するには少し語弊がある。
だが詳しく話しをする必要は無かったから、パインは曖昧に苦笑して明言を避けた。
「じゃあ…ギップル先生だったんッスか？」
「おうよ。…って言いたいところだけど、俺としちゃこっちの先生には頭上がらなかったもんでさ」
こっち…と指差してくるのを、パインは肩を竦めて応えて、指折り数え出す。
「いつまでもグータラ寝てる奴を叩き起したり、配給の食事が足りないってブツブツ言ってた奴に分けてやったり？それから…」
ギップルは折られていく指を止めるように、慌ててパインの手を握り締めた。
「あ〜パイン先生、もう…勘弁して。イメージ台無し」
「結構…仲良いんだね」
クスクスと笑いを立てながらユウナが零した言葉に、そして伝わってくる温もりに鼓動が逸り出す。
「…まあ、悪くはないと思うけど？」
パインは手を包む温もりを振り切るように軽く腕を払った。
何だかそれが恐いもののように思えたから。
ざわりと…悪寒にも似た感覚が肌を粟立てていく。
それを受けて頭の奥で警鐘が鳴り出す。
…危険？これが？
だが直ぐに…否だと思い直す。
「何か…匂いでもしたか？」
からかうようなギップルの声に、見上げてみれば…苦笑を湛えた眼差しが見詰めていた。
感覚が開きっ放し…と評したのは彼だった。
「した。来るよ！」
直ぐ傍の茂みが激しく揺れて…飛び出して来た影に、パインは手にした剣を振るう。
素早い動きでその剣先を避け、空を切らせたのは…クィーンクァールだった。
そのしなやかな獣の姿とは裏腹に魔法を使う魔物で、その一撃を食らうと厄介な魔法まで放ってくる。
こちらを威嚇するような鋭い眼光。ビリビリと伝わってくる気配に全身が緊張していくのが分かった。
クィーンクァールのゆらゆらと揺れる長い髭が仄かな光を帯びていく。
それが何を意味するのかパインはよく知っていた。
「ユウナ！あいつ黙らせて！」
パインは叫ぶと同時に走り出した。
ユウナが続けざまに打ち込んだ銃弾にクィーンクァールは魔力を放てない。
渾身の力を込めて振り上げた剣。
だが剣先から伝わるその感触は軽かった。
ヒラリと軽い身のこなしで致命傷を避けたクィーンクァールは、着地と同時に長い髭を大きく揺らめかせた。
次の瞬間…目の前が真っ赤に染まる。
咄嗟に飛び退って直撃は避けられたが、その魔法の衝撃に体がバランスを失った。
勢いそのままに低い木立に突っ込み、細い小枝が肌を裂いたのが分かった。
「パイン！」
立ち上がろうと顔を上げた…その目の前で、クィーンクァールは威嚇の体勢で長い髭をゆったりと動かしていた。
魔物で無ければ素直に綺麗だと思えるであろう…宝石のような青い瞳がこちらを見詰めている。
「させるかってんの！」
ユウナのハンドガンよりも重い音が続けざまに響いた。
それを避けようとクィーンクァールは身を翻したが、その先の動きを読んだように撃ち込まれていく弾丸。
「終わりっ！」
飛び掛りながら真っ二つにするような勢いで、手にした剣を振り下ろしたのは…ユウナの麗しの君だった。
その一撃で動きを完全に止めたクィーンクァールは、纏う姿を霧散させ…無数の幻光虫が宙を舞った。
パインは思わず…大きく息を吐き出していた。
「パイン！大丈夫？」
駆け寄ってきたユウナが心配そうに手を差し伸べてくる。
パインは苦笑を刷きながら頷き、その手を掴んだ。
今回は全く良いところ無しだった。
「…ギップルさんって凄いんだね。狙い外さないんだもん」
「あいつは持ち上げると図に乗るから止めておけ。それより元ガードを誉めてやったら？」
ユウナは少しはにかむような笑みを見せると、後でね…と唇だけで答えた。
思わずご馳走様と思ってしまったのには罪はないと思う。
「大丈夫ッスか？血…出てる」
木立の枝に裂かれた肌。幾筋もの小さな傷を作っていた。
魔法の直撃を食らうダメージよりかなりマシな…かすり傷。
「大した傷じゃない。そのうち治る」
「ったく、あんたは…」
呆れたような…怒ったような呟きと共に掴まれた手首。
見上げればギップルが険しい顔をして傷口を覗き込んでいた。
「これくらい何ともない」
傷口から菌が入って死ぬ事もある…とは知っている。
だがこの程度のものなら、傷口を洗う程度で事は済むだろう。
「戻って手当てしてやるから。ほら…行くぞ」
掴んだ手首をそのままにギップルは歩き出してしまう。
半ば引き摺られるように歩き出したパインは、思い出したようにユウナとその麗しの君を振り返る。
その二人並ぶ姿にパインはあれ？と気が付いた。
…もしかしたら、当初の目的が果たせるんじゃないか？
「あっ…二人はゆっくり来なよ」
声をかけると、ユウナは一瞬目を瞠って、そして少し照れ臭そうに頬を染めて小さく頷いた。
それは、わたがしみたいな…恋心。
どんな味がするのか、まだ知らないけれど。
終
甘い意味合いで作ってみました。ギプ×パイと言うより、ティ×ユウかな？
リュックはまだ恋に恋する状態 パイン…うーん、どうだろう。何たって…疎いですから（苦笑）
お題36・わたがしみたい：２００４１２２５：シアーズ