２８.いつも二人で
「え〜？大丈夫なの？」
リュックの驚きと不安そうな声に、ちょっと後ろめたさを覚えた。
疲れているから…と言って、誘われた食事にも行かずにいたのだから。
「うん。まあ…食べて、少し休んだら大分良くなったから」
「ホントに？無理してこいつに付き合うこと無いんだよ」
こいつ…と、リュックが指差す先には、今の今まで仲違いをしていた男。
と、言うより…私が一方的に腹を立てていたに過ぎないのだが。
「うっせえな。ちょっとそこまで出てくるだけだって」
ギップルはバイクに荷を括りつけながら、リュックを一睨みする。
「ちょっとそこまでって…どこ行くのさ」
「内緒。デートの邪魔されちゃ…堪んねえからな」
「デ、デート？！」
素っ頓狂な声をあげたリュックの口を、パインは慌てて塞いだ。
突然の大声に訝しげに、作業をしていた者達がこちらを見ている。
その言葉の意味が分かる者は半分くらいだろうが、恥ずかしいのは変わりが無い。
「馬鹿。大声出すな。…違う。絶対違うからな」
もがくリュックを封じて、パインは言い含めるようにそう繰り返した。
暫く瞬きをしながらこちらを見ていたリュックは、ややあってコクコクと小さく頷く。
それを見届けてゆっくりと手を離すと、彼女は堪えていた息を大きく吐き出した。
「で、でもさ…ホントに大丈夫？」
翡翠色の瞳が心配そうに見詰めてくるのが心苦しいのは自業自得だ。
「大丈夫だって」
パインはリュックの手を掴むと、自分の額に導いた。
温かい手だった。ちょっと泣きたくなる程、優しい手だった。
「…熱も無いだろ？」
少し戸惑ったようで、それでいてちょっと疑っているような眼差し。
それが、ゆっくりと明るい色を差して微笑む。
「うん。でも、無理は禁物だよ」
「何言ってんの。俺が一緒なんだぜ？」
「ばーか。だから心配なんじゃない。パイン先生のお荷物になるんじゃないよ」
「誰に言ってんだよ？」
少しムッとしたようにギップルが反論すれば、リュックが事も無さげに肩を竦める。
「誰ってギッポーに決まってんじゃん」
「ギッポーって呼ぶな！」
以前…ユウナも言っていたが、この二人は本当に仲が良い。
お互いに気負わないと言うか、屈託が無いと言うか。
自分もアカギの頃…ギップルとは全く気負わずに話が出来た。
でも今では何をするにしても、色んな事を意識してしまって、つい…憎まれ口になってしまう。
この二人の関係のようなカタチの方が、余程気が楽なんじゃないかと思ったりもする。
幼馴染み…は、今更もう無理なのは分かっているのだけど。
「どうしたの？パイン。やっぱりまだ…」
リュックは押し黙っていたのを心配したらしく、また不安そうに顔を覗き込んでくる。
パインは小さく苦笑を零して、頭を振った。
「違うよ。二人…仲が良いんだなって思ってさ」
その言葉に二人は弾かれたように顔を見合わせた。
そして、揃ってブンブンと激しく首を横に振り出す。
「ち、違うからね」
「そうそう、絶対違う」
仲が良いのは見れば分かる事なのに、そんなに否定する必要もあるまいに。
「何が違うんだ？」
ギップルは背中に感じる温もりに、小さく苦笑を刷いた。
体に受ける乾いた風。
ただ、背中だけがしっとりと温かい。
不思議そうにきょとんと瞬いた緋色の瞳。
そこに浮かぶのは完全に疑問符だけで…。
妙な誤解をされたのかと思って否定をしてみたが、パインは全く違う意味で言ったらしい。
逆に説明に困ってしまい、誤魔化すようにパインを急かせてバイクに乗った。
粘りに粘って漸く休戦には持ち込んだものの、また…新たな悩みにぶち当たったのか、パインは暫く物憂げな様子だった。
あの張り詰めた雰囲気はどこにも無く、己を守るべき棘が削げ落ちて…ちょっと不安そうにも見えた。
『なあ、パイン先生。ちょっと出かけねえ？』
すっかり冷めてしまった食事を突いていたパインを気晴らしにと誘ったのは、彼女がそんな顔をしているのが嫌だったからだ。
『出かけるって…どこに？』
『ちょっとそこまで…』
戸惑いげで、窺うような眼差しでこちらを見ていたパインは、ややあって小さく頷いてくれた。
腹部に絡まる腕の感触は思いの外…鼓動を跳ねさせた。
小さな身動き一つで更に逸る。
ガラでも無い程の己の初心さに、思わず気恥ずかしささえ覚えた。
そこに彼女がいる。
ただそれだけなのに、こんなにも嬉しい。
「なあ…どこまで行くんだ？」
エンジン音に半分程掻き消された声が吐息と共に耳元を掠める。
突然の事だったから、心拍数が一気に上昇した。
けたたましいエンジン音故の配慮だとは分かるのだが、あまり驚かせないで欲しい。
下手をすれば、運転を誤る。
パインは返事が無い事を聞こえなかったと思ったのか、少し腕を緩めて伸び上がろうとする動きをみせた。
それと殆んど同時に、先程より近い位置から吐息が直に触れる。
「ギップル。…どこまで行くんだよ」
ゾワリと全身が粟立つのが分かった。
決して不快だった訳ではない。
寧ろ…その逆で。
甘く無い響きですら、この声が直接耳朶に触れると一種快感が駆け巡る。
…頼む。頼むから自覚持ってくれ。
あまりの無防備さに、思わず溜息が付きたくなった。
暫く会えず、漸く会えたと思ったら諍いで。
まさか、すっかり忘れられているのだろうか。
もう少し親密な関係になりたいって思っている事を。
「もうちょっとだから…」
ギップルは小さな苦笑を誤魔化しに浮かべてそう応えると、スロットルに力を込めた。
反動で持っていかれそうになる体を支えるかのように、パインの腕に再び力が篭る。
ただ、それだけなのに…クラクラしそうだった。
流れていく風景は時折遺跡らしきモノが見える以外、砂ばかりの単調の世界だった。
どこに向かっているのかさえ分からない。
風の流れに姿を変える砂の波山。そのうねりを越える度に、振り落とされそうになる。
パインは何度もしがみ付く腕に力を込めた。
広い背中だ…と、不意に思った。
比べてしまうのは、忘れられない背中。
もう取り戻せない…日常の中にあったささやかな幸福。
それだけで満足だった。
それだけが…私の世界の全てだったから。
その全てが手のひらの中から零れ落ちてしまった。
私に出来たのは、蹲って痛みを耐える事だけだった。
癒す術も知らず、ただ己の心がその痛みに慣れるのを待つしか出来なかった。
温もりも優しさも…もう要らない。そんなモノは私を傷つけるだけ。
何かを失う度に、己にそう言い聞かせて、思い込んで、ただひたすらに生きてきた。
でも、それでは駄目なのだ。
もう何も失いたくないから、失う前に遠ざける。
そんな矛盾だらけの逃避をし続けてきた歪みに、身動きが出来なくなってしまっていた。
真正面から容赦無く切り付け、己の存在を賭けて、この男はそれに気が付かせてくれた。
お陰で、遠ざける事も叶わないくらいに必要な存在なのだと…自覚してしまった。
悔しい気持ちは拭えない。
その存在を刷り込みされてしまった結果のような気がするから。
やっぱり、この気持ちは…愛だとか恋だとは違うと思う。
…こんな風に、背中に凭れるのも良いかもしれない。
そう思えるくらいの、信頼と好意…と言うところだろうか。
一面の砂の世界の向こうから突如現れる横一筋の煌めき。
それが次第に膨らみ、光の束となって視界の全てを覆い始める。
ギップルはそれを避けるようにハンドルを軽く切った。
正面から左辺前方へと移動した光の帯は、速度を上げると一気に膨張する。
煌めきがやがて青みを帯び出すと、それが何であるか分かったのだろう。
背後でパインが小さく身じろいだ。
ビーカネルは島だから、四方…どこへ向かっても海へとぶち当たる。
まあ、態々こんな所までやってくる酔狂な奴など…そういないだろうけれど。
砂漠の一部とも浜辺とも付かない辺りにバイクを停めたギップルは、背中に張り付いたままのパインを顔だけ振り返った。
エンジン音に掻き消されていた波の音がゆったりと響く。
顔までは見えない。
でも、彼女が何を見ているのかだけは分かった。
無言のまま、背中に凭れて動かない。
「どうした？」
「…ここは、島なんだよな」
失念していた…とでも言うかのように、ぽつりと零れ落ちた呟き。
「何を今更…」
「確かに今更だよな。でも、海があるのは…ちょっと意外な感じがして」
「意外？」
「うん。私がただ、当たり前の事に気が付かなかっただけなんだけど…」
パインはそう言って小さく苦笑を零した。
顔は見えないけれど、そんな感じがした。
背中に感じる体温は動く気配を見せない。
砂漠の果てに広がっている光景をどんな思いで見詰めているのか知りたいけれど。
今はただ、穏やかな沈黙を波の音が攫っていくだけ。
…ずっとこんな風に過ごせたら良いのに。
そんな願望さえ抱かせる程に、背中に凭れる温もりは心地良かった。
終
ビーカネル編第二幕スタート。
漸くここまで漕ぎ着けたって感じです。本当はもっと早く…こうなるはずだったのだけど（溜息）
お題２８・いつも二人で：２００５０４２４