２６・過去
残した映像ではなく、記憶に刻まれた…過去の断片が鮮やかに蘇る。
目の前の未来しか思い描く事が出来なかったあの頃。
その先にこんな今があるなんて、想像もしていなかっただろう。
傍に置いたランプの明かりを頼りにギップルは手を動かし続けた。
「また負けたのかい？」
ギップルの手元を覗き込んで、バラライが声をかけてくる。
「見れば分かるだろ？」
お陰で今日もスフィアカメラのメンテナンスをさせられているのだ。
顔も上げずに半ば邪険に答えると、小さくクスッ…と傍で笑った気配がした。
「今回で十三敗と四の引き分けだっけ？」
「まだ十二敗だ」
「どっちにしても勝ち星は未だに無しって事だね」
「うっせえよ」
何故勝てないのかが分からない。
相手は自分よりも小柄で、しかも女だと言うのに。
『あんたは動きが大雑把なの。次の手が丸見えだし…隙だらけ』
皮肉げ笑う唇にそう宣言されてから、チャレンジする事…十六回。
白星無し。
正直悔しいが、それが今の自分の力量と言う事なのだろう。
勝った方の言う事を一つきく。
それが彼女との手合わせのルールだった。
彼女はカメラのメンテナンスや食事の調達、荷物持ちなど…ちょっとした雑用を宛がってくる。
自分は…と言えば、今度こそ絶対！と毎回意気込んではいるのだが。
未だ一つの願いを口にする権利すら貰えないのが実情だ。
「ホント、ギップルって手先が器用なんだね」
傍に座り込んで作業を眺めているバラライが感心したように呟く。
「俺、機械触んの好きだし？」
「あっ…もしかして、負けも結構楽しんでたりする？」
「負けんのは悔しいぜ？でもこう言う作業は大歓迎…だな」
メンテナンスの次いでに色々改良もしてみたいが、さすがに道具も材料も無いので少々手を加えるに留めている。
それに、彼女がこれで撮った映像は全て監察官に提出される。
適当に誤魔化せる事まで鮮明に撮られるのは、あまり歓迎出来ない。
ただでさえ…あちこちから色々と目を付けられている班なのだから、余計な真似はしない方が良いだろう。
「…おっし、出来た。パイン先生、まだ起きてっかな？」
「まだ明かりが点いているから、報告書を書いてるんじゃない？」
天幕の奥に垂れ下がる一枚の幕。
その向こうは、寝床一つ分の小さな…彼女のテリトリー。
着替えの時は勿論だが、報告書を書く時は垂れ幕が下りている事が多い。
時には垂れ幕一枚隔てただけで体を拭いたりしてくれちゃったりするものだから、男三人居場所に困る事もある。
奥を窺ったバラライの言う通り、垂れ幕の向こうはほんのりと明るい。
「パイン先生？メンテナンス終わったけど？」
カメラ片手に彼女のテリトリーに近づいて、声をかけてみる。
だが、返事が無い。
耳を欹ててみるが、物音すらしない。
「パイン先生？開けるぞ」
「ちょっと…ギップルっ」
布にかけた手を動かそうとした時、バラライの咎める声が背中へと飛んできた。
垂れ幕が下りている時は彼女の許し無しに踏み入れてはならない。
それが暗黙のルールだった。
「ちょっと覗くだけだって。寝てんなら、明かり消した方が良いだろ？」
「屁理屈って言うんだよ。それ…」
呆れたような溜息と共に、近づいてくる足音。
振り返ってみれば、顔を顰めたままのバラライが直ぐ後に立っている。
「何？やっぱ、あんたも覗いてみたい？」
「何言ってんのさ。君がおかしな事しないように見張るだけだよ」
「…どっちが屁理屈なんだか」
ギップルは苦笑を刷きながら膝を付いて身を屈めると、垂れ幕をそっと捲ってみた。
そこにあった光景に思わず息を飲む。
眠っているのだろうと予想をしていたにも関わらず、何故か鼓動が跳ねた。
勝気な瞳は長い睫に縁取られた瞼の下。
遠慮の無い唇は、微かに開いて穏やかな吐息を繰り返す。
どこにそんな強さが秘めているのか分からない華奢な体は、毛布に包まり小さく丸められて。
まだ女性になり切らない少女の無防備な姿がそこにあった。
「おやおや。さすがのパインも…余程疲れが堪っているみたいだね」
「そりゃ…まあな」
バラライの潜めた声に釣られたように、ギップルも声を落として曖昧に答える。
女の色気なんてモノは勿論無い。
でも、男とは絶対に違う。
どちらにも属さない…澄んだ硝子みたいに透明な感じだ。
…へえ、結構可愛いかも。
普段では見る事の出来ない…あまりにも無防備な姿だからそんな風に思えるのだろうか。
余程疲れているのか、直ぐ傍で話をしていても全く目を覚ます気配はない。
不意に触発された悪戯心。
ギップルは手にしていたスフィアカメラのスイッチを入れた。
既に耳に慣れた微かな起動音。
「怒られても知らないよ？」
何をしようとしているのか分かったバラライは呆れたような溜息を零す。
「試し撮り。試し撮り」
「それこそ…ホントに屁理屈だと思うけど？」
覗き込んだファインダーから穏やかな寝顔が見えた。
だが、さすがにランプの明かりだけでは綺麗に写り込まない。
「うーん、もうちょっと感度が上がると思ったんだけどな」
尤もらしくぼやきを零すと、傍でバラライが小さく苦笑したのが分かった。
「君、その試し撮りのスフィア…どうするつもり？」
「賭けの賞品にでもするか？」
ギップルは軽く答えて、ファインダーを覗き込んだまま被写体との距離を少し縮めようと身を屈めようとした。
「…あまり近付くと一刀両断にされるぞ」
突然背後から飛び込んできた声に、ギップルは身を竦めて…慌てて距離を取った。
その声が耳に届いたのか、パインの体がピクリと震える。
目を覚ましてしまったのかと息を呑んで見守ってみるが、目を覚ます様子はない。
振り返れば、天幕の入り口に…いつもどこにフラフラ出かけているのか分からないヌージが立っていた。
「ヌージ、脅かすなよ」
起きたらどうするんだ…と非難を込めてみたが、器用にも片眉を上げて受け流された。
「そう思うのは疚しい事をしている自覚があるからじゃないのか？」
本人の承諾無しに寝顔を隠し撮り…なんて、確かに少々疚しい事なのかもしれないが。
誰も止めないと言う事は、黙認または黙殺。
つまりは、その時点でこいつらも共犯と言う事ではないだろうか。
「ヌージ。その噂本当なのかい？」
「噂？あぁ…記録係を押し倒そうとして一刀両断にされたマヌケな候補生の話か？」
ヌージは小馬鹿にしたように鼻で嘲って、天幕の一番奥へと視線を投げた。
「…一刀両断にされかけた、が本当らしいがな」
「そいつ、馬鹿か？」
記録係はそれなりに腕が確かな女性たちばかりなのだ。
甘く見てちょっかいを出せば、痛い目に会うのは当然だろう。
もしその記録係がここに眠る彼女だとしたら、その候補生はかなり無謀な奴…としか思えない。
「お前も人の事言えないんじゃないのか？それが知れたら、タダじゃ済まないと思うが？」
「それ以前に、ヌージは完璧にお小言喰らうぜ？また帰って来ないってブツブツ怒ってたし…」
カメラを向けながら指摘をすると、ヌージはあからさまに顔を顰める。
「…ったく、小煩くて敵わないな」
「そんな事言って、ヌージはパインのお小言が聞きたいんだよね」
「それは、何だ彼んだと構っているお前達の方だろう？」
「誤解されないように一応言っておくけど、僕は一切関与してないからね」
バラライは態と声が入るように、スフィアカメラに向かって話しかけている。
どうやら、これを見られた場合の彼女に言い訳をしているらしい。
「お前、今更…逃げる？」
「だって、ホントの事だし」
「友達甲斐の無い奴だな」
「僕はパインを敵に廻したくないからね。怒ったらおっかないし…」
思わぬ本音を拾ってギップルはニヤリと笑みを刷き、バラライへとカメラを振った。
「今の入ってるからな」
「あっ…今のは冗談だよ」
眠っている当人に向かってではなく、律儀にカメラに向かってバラライが声を吹き込む。
「おい、あんまり傍で騒いでいると目を覚ますぞ」
確かに、疲労で熟睡しているとは言え、元々…感覚の鋭い彼女だ。
ふとした拍子に目を覚まし、怒られるのは勘弁したい。
ある意味、監察官より怖い記録係なのだから。
ギップルはファインダーから顔を上げると、未だ眠っているパインの枕元で灯るランプに手を伸ばし明かりを落とした。
いつの間にか少し眉根を寄せていた寝顔が薄闇の中に呑まれていく。
先の見えない未来。
もしかしたら、今日の続きが明日ではなくなるかもしれない。
こんな事があったのだと懐かしむ瞬間、自分たちはどこにいるだろうか。
その時…コレは何を語るだろう。
それは、
ほんの少しだけ切り取った…今と言う名の過去。
終
捏造満載のアカギ時代の１コマ。
アレに何が映っているかは…これでお分かりかと。
お題２６・過去：２００５０６０４：シアーズ