２４・文句


　ザワリと全身の毛が逆立つような危険信号。
　パインはそれを感じて微かに目を細めた。

　少し厄介な相手に出くわした。
　トンベリなら脇を擦り抜けて突破する事も可能だが、道を塞ぐゴーキマイラではそれも適わない。

「ちょっと逃げるのは無理そうだなあ」

　緊張感の見えないギップルの声にパインは思わず苦笑を刷いた。
　この男は窮地でも茶化さないといられないらしい。


「…私の前には出るなよ」


「パイン先生…剣一本？魔法じゃねえの？」
「チェンジする暇が無い」

　パインは剣を引き出すと素早く走り出した。


　既に向こうは突進して来ていた。
　ウシの頭の突き上げを紙一重で交わして剣で斬り込んだ。
　太い腕に薙ぎ払われそうになったのを体を捻ってどうにか避ける。

　その刹那…銃声が立て続けに響く。

　ゴーキマイラの腕が目の前で動きを止めた隙に、パインは一気に飛び退って間合いを取った。


「一気に決めちゃって」


　相変わらずの軽い調子の声だった。

「援護を頼む」


　それはあの時…全てを預けると言った言葉に似ていた。
　身を任せ…全てを委ねたあの時の己の言葉に。


「頼まれましょ…」


　パインは軽く答えたギップルの様子に小さく苦笑を刷いて、宙へと手を差し伸べた。

　その手の中に光が煌き始める。

　ゴーキマイラは基本的に魔法を使う魔物だ。
　食らっても即死はしないが徒では済まない。
　ゴーキマイラの尾である蛇がこちらを窺っていた。
　その長い尾が怪しげな光を帯びていく。

　こちらが気を溜めるのが先か…向こうが先か。

　視界の端から宙を走った物体があった。
　ギップルが投げつけた手榴弾の爆炎と、狙い澄ましたように放たれたハンドガンの銃弾が尾の蛇へとへと襲い掛かる。
　ゴーキマイラが痛みにか…怒りにか咆哮を上げた。
　パインは刀身に煌きを満たして、ゴーキマイラの本体へと斬り込もうと前に出た。



　その瞬間…沈黙させたはずの蛇の頭と目が合った気がした。


　シャーと嫌な鳴き声を上げて…ユラリと動く長い尾。


　眩まんばかりの雷光が目の前で弾けた。

　だが避けるより剣を振るう方が先だと思った。



　突然の脇からの衝撃にパインは息を呑んだ。


　バランスを崩した体は地面に勢い良く倒れ込んだ。飛びついてきたギップル諸共に。
　自分が立っていた場所は雷の魔法の一撃で焼け焦げていた。

「この馬鹿！避けるくらいしろ！」

　ギップルは怒ったような声をあげ、素早く身を起こすと目の前に迫っていたゴーキマイラに向けてハンドガンを放つ。
　パインは痛む体を起こして、再び剣を握り締めた。
　退れ…と言いかけた時には、突進してきたウシの頭がギップルの体を突き上げていた。

　その勢いそのままにギップルの体が岩下の谷底へと吹き飛ばされる。


　その光景に一瞬…思考が停止したような気がした。


　だが、ギップルの手から放り出されたハンドガンが岩場を跳ねた音が意識を刺激してくれた。

　一気に感覚が冴えていく。

　全神経がビリビリと過剰に反応しているのに頭だけが冷静になっていく。
　ゴーキマイラがこちらの存在に気が付いて腕を振り上げた。

　それが次なる魔法の気を溜めている行動だと、パインには分かっていた。


「このっ！」


　パインはゴーキマイラに力いっぱい斬り込んで大きく飛び退る。
　その反動のまま再度前に出て…唸り声を上げているゴーキマイラの体へと剣を突き刺した。
　その姿が霧散して幻光が溢れていく様子を肩で息をしながら見詰めていた。

　それらが宙へ舞っていくのを見届けると、慌てて踵を返し…ギップルが吹き飛ばされた谷底へと走った。




「ギップル！」

　蹲った恰好のまま地に倒れているその体を仰向けに寝かせると、微かに呻き声を上げたのが分かった。
　あの一撃では内臓をやられているはずだ。しかも転落の衝撃も受けている。

「この馬鹿！私の前に出るなと言っただろう！」


　間に合わないかもしれない。


　そう思うと全身が震え出すのが分かった。
　パインは唇を噛み締めて何度も頭を振り、己の不安を振り払った。


　私はもう誰も…失いたくないのに！


　パインは白魔法の指輪を震える指に何とか嵌めると、その手をギップルの腹部へと添えた。

『清浄なる光…玲瓏なる輝き。我はその力を望む者也…』

　詠唱に応えるようにフワリと淡い光の粒が宙を舞い始める。
　世界を造るあらゆる物がほんの少しだけ分けてくれる…聖なる力。

『…その尊き光をこの手に』

　慈愛あり祈りであるその光が手の中に溢れていくが気がした。


　死ぬなんて、絶対に許さない。




「痛っ…」

　呻きに似た吐息が聞こえた。


　パインは弾かれたように、ギップルを覗き込んだ。
　ギップルは苦しそうに暫く咳き込んでいたが、ゆっくりと呼吸を繰り返す音へと変わっていく。
　痛みに顔を顰めているのが分かった。

　意識が戻れば…問題ない。

「大丈夫か？」

　声に応えるようにうっすらと緑色の瞳が現れた。

「…痛ってえ」
　呻くように小さく零しながらギップルは一撃を受けた腹部を摩ろうとする。

「当たり前だ。馬鹿」

「…もしかして、俺、死にかけた？」

　掠れた声が小さく問いかけてくる。
　パインはギップルの顔を間近に見下ろしながら、その頬を指先で撫でた。

「異界の入り口まで…あと十歩くらいだったんじゃないか？」

「…そっか」
　ギップルは震える息を吐きながらそう呟くと、何かに気が付いたように瞳を瞬かせ、パインの唇へと指を伸ばしてくる。
　触れられた瞬間に微かな痛みを感じてパインは眉を寄せた。
「血が出てる…」

　いつのまにか唇を少し切っていたらしい。
　噛み締めた時に傷つけてしまったのかもしれない。

「大したことない。そのうち治る」
　ギップルの指がパインの髪を撫でつけるように何度も梳いていく。


　その感触に…無意識のうちにホッと息を付いていた。


　一つだけの瞳が微かに震えたのが見えた。

　不意に頭を引き寄せられて唇が触れ合ったかと思うと、生温かな感触がパインの唇を伝った。



　ドクンと心臓が大きく脈打つ。


　パインは身を強張らせて、反射的にギップルの腕を振り払っていた。


「舐めときゃ治るってか？」


　ギップルは緑の瞳に苦笑を浮かべながら、少し楽しげに呟く。

　パインは思わず唇を噛み締めた。
　ちりちりとした痛みを感じた。


　そんなものとは比べ物にならないくらい胸が痛かったのに。

　失ってしまうかもしれない不安が膨らんで、恐くて震えさえ止められなくなっていたのに。


　この男はお構いなしに心を掻き乱す。



　そう思った瞬間、目の前が霞んだ。
　悔しくて悔しくて涙が溢れた。


　堪えようとしても止まらない思いに瞼を閉じた瞬間…涙が零れ落ちた。


　ずっと心を掻き乱している感情が、また胸の奥を燻る。


終


　ごめんなさい。嘘つきです。キノコ岩にゴーキマイラは出ない（はず）言わなきゃ分からないって？
　うーん、本当に恋人まで長い道のりです。
　お題24・文句：２００５０１０４：シアーズ