２１・両思い
酔い覚ましに出て行ったパインと、それを探しに行ったヌージが戻って来なくて暫く経っていた。
あれからずっと二人きりでいるのだと思うとやはり落ち着かない気分になる。
ギップルは手の中の杯を何度か揺らしながら溜息をついた。
「どうしたんですか？ギップルさん、全然飲んでませんよ」
些か呂律が回らなくなっているエルマがギップルの杯を覗き込み、並々と酒を注ぎ足していく。
何故かこの酒宴に同席するハメになったベクレムは、呆れたような溜息を付きながら酒を口に運んでいる。
「お前、ルチルがいないからって羽根伸ばし過ぎだぞ？」
「別に隊長は関係ないっすよ〜だ」
どうやら彼女はかなり酔っているらしい。
「報告書に書いてやる」
ベクレムの脅しのような台詞にエルマは得とく顔でニッコリと笑みを浮かべた。
「ラブレターの間違いじゃないですか？」
飲んでいた酒を噴出しかけたのはギップル。
そして見事に噴出したのはベクレムだった。
「お、おい！いきなり何を言い出す！」
「あれえ？違うんですか？」
すっかり反応を楽しんでいる様子のエルマにベクレムは憮然とした表情を浮かべて、噴出した酒を拭いていく。
「…へえ、意外。そう言う仲だったわけ？」
ギップルの探りにベクレムとエルマから同時に即座の返答が跳ね返ってきた。
「断じて違う！」
「もう…間違い無しですって」
その反応があまりにも可笑しくてギップルは笑いが堪えきれずに、肩を震わせた。
ベクレムが不機嫌そうに睨んでいるようだったが、エルマもクスクスと笑いを立てている。
「ねえねえ…ギップルさん。パインさんってヌージ様の事が好きなんですか？」
唐突な、あまりにも唐突な探り入れ。
酔った勢いでの事だとは分かるのだが。
…おいおい、何故俺にそれを訊く？
頬が引き攣りそうになるのを懸命に耐えて、ギップルは杯を傾けながら軽く問い返す。
「何で俺に訊く？」
「仲が良いからご存知なんじゃないかと思って」
どうやら俺は「パインの恋人候補」の一人にも挙げて貰えないらしい。
「どうなんだろうなあ」
今の自分に完全に否定する権利は無いのだから、曖昧な回答しか思い浮かばない。
事実、彼女は何も告げてはくれていないのだから。
「同盟内で噂になってるんですよ。時々、一人でヌージ様に会いにいらっしゃるし…」
「へぇ〜」
…一人で、ねえ。
「ヌージ様もパインさんが来るのを楽しみにしていらっしゃるようですし、これって両思いってやつですかね？」
ギップルは複雑な胸の内を苦笑で誤魔化し、何とコメントをしようかと考えを廻らせた矢先…
「…へっ？」
何とも間の抜けたような小さな声に誰もが弾かれたように振り向いた。
開け放たれたまま入り口には、呆然としたような表情のパインとそんな顔を窺っているヌージの姿があった。
奇妙な沈黙の間に一瞬…緋色の瞳がこちらを見た事に気がついた。
だが視線が合った刹那…逸らされてしまう。
「どうした？否定して欲しいか？それとも、肯定してやろうか？」
意地悪げにからかうヌージの言葉に、パインの頬が一気に真っ赤に染まった。
震える唇が必死に言葉を選び出そうとしているのが分かった。
「ち、違う…から…」
ふるふると小さく頭を振って、か細く零れた否定の言葉。
だが、それ以上は何も言えずにパインは逃げるように踵を返してしまう。
ヌージは苦笑のような溜息を零しながらそれを見送っていたが、こちらを振り向いて軽く顎を杓った。
それが…行けと言っているのだと分かった。
だが、ヌージがそこまでのお節介をする性質だとは信じられず、ギップルは見詰め返したまま眉を寄せた。
灰青の瞳が皮肉げに細められ、薄い唇は微かな苦笑を帯びていく。
「ツケておいた、割増報酬だ」
「それは有り難いこって」
ギップルは小さく舌打ちを返すと、仰せに従ってパインの後を追った。
唖然としたようなエルマとベクレムの視線が絡み付いてくるのは感じていたが、そんな物に構っていられる気分ではなかった。
泊まるようにと宛がわれた部屋がある棟。
ギップルはそこに続く通路をトボトボと歩いている後ろ姿に気が付いた。
少し項垂れている背中はいつもより小さく思えた。
この距離にいて、こちらの存在に気がつかない程に動揺していると言うことなのだろうか。
ギップルは自分の存在を知らしめるように、態と足音を立てながらパインへと近づいてみる。
足音に漸く気が付いたのか、パインは弾かれたように振り返った。
そこにあった表情は戸惑っているようにも、臆しているようにも見えた。
「…何で？」
「様子見てこいって」
いつもの虚勢すら思い浮かばないのか、パインは困り果てたような表情で見上げてくる。
何とも可愛らしくて、口付けてしまいたい衝動さえ湧く。
ギップルはまだ赤みが帯びている頬へと指を滑らせてみた。
その輪郭を辿るように。
「…違うから」
再び小さく零れた否定の言葉。
それは以前にも聞いているので知ってはいる。
「分かってるって…」
パインは宙へと視線を漂わせていく。
触れていた指から逃れるように身を引かれてしまった。
それは触れられる事への拒絶のようだった。
「そう…」
「パイン先生。あのな…」
「もう寝る。そう言っておいて…」
言葉を遮るようにパインはそう言い放つと、再び逃げるように踵を返してしまう。
ギップルは手を伸ばしてその腕を掴むと、強引に振り向かせた。
視線を合わせた緋色の瞳が一瞬…大きく見開かれ、そして辛そうに揺らいでいく。
「…だから、違うってば」
たどたどしく繰り返される否定の言葉。
「それはもう分かったから…」
「そうじゃ、なくて…」
窺うように顔を覗きこむと、パインはまるで呼吸困難に陥ってしまったかのように…何度も震えた息を付いていく。
まるで泣き出してしまいそうな顔をして何度も眼差しを彷徨わせる。
その息遣いすら苦しそうで、ギップルは空いた手を伸ばして落ち着かせるように背中を何度か摩ってみた。
小さく身を竦ませる様は、何となく遣り切れない気分にさせられる。
「酔ったのか？ほら、部屋まで送ってやるから」
促してみるとパインはコクンと小さく頷いて、ゆっくりと歩き出す。
それと同時に掴んでいた手を解かせられてしまった。
指の間から零れ落ちていく温もり。
調子に乗って答えをせっついたせいで、益々頑なになってしまっているのだろうか。
ここにきて気持ちが急いてしまっている。
もう少し我慢をしないと、また逃げられてしまいそうだ。
ギップルは自嘲を浮かべかけた。
不意に腕に添えられた確かな感触。
何が起こったのか分からなかった。
視線を落とし、白い手が腕を掴んだのだと分かって…一瞬思考が吹っ飛んだ。
驚いて彼女の顔を覗き込もうとしたが俯いていて全く見えない。
「…あのぉ、パイン先生？」
「…何だよ。送ってくれるんじゃないのか？」
まだ微かに震えていて、努めて普段通り返しているような声だった。
唯一見えていた耳が真っ赤に染まっている。
あれ？…と気が付いてしまった。
その意味が分かった気がした。
次第に鼓動が早くなっていく。
それを実感した時には、嬉しくて嬉しくて彼女に抱き付きたい気分になった。
…落ち着け。落ち着け。
強張った体から力を抜くように息を吐き出すと、パインは弾かれたように手を離してしまう。
だが、逃すつもりはなかった。
その手を捕らえ、そっと握って、何も無かったかのように歩みを続ける。
抗う事無く…隣で奏でられるヒールの音がどんな音楽より心地良く聞こえた。
…ツケておいただけに、デカい割増報酬になったなあ。
ギップルはそう思いながら握る手にそっと力を込めてみる。
戸惑ったように強張った指先が、ほんの少しだけ握り返してくれた。
それが、やっとやっと貰えた…彼女からの答え。
ただ手を繋いで歩いているだけなのに、ガラでも無く…初心な子供みたいにドキドキしている。
何かもう…幸せの真っ只中って感じだ。
あの頃と変わってしまった間柄。
もしかしたら、この先…また違う関係になっているかもしれない。
でも、今は…。
「なあ、一緒に寝ても良い？」
「調子に乗るな。馬鹿」
今の二人はこんな関係。
終
自覚後直ぐに…って言うのは、かなり急展開過ぎた気も。
漸く、ギプ昇格です。取り合えず…「良かったねえ」と言ってあげたい。
まあ、ちっとも甘いカップルにはなっておりませんので、その辺り彼の苦労はまだまだ絶えないかと。
お題２１・両思い：２００５０６１６：シアーズ