13・砂糖とミルク


 思い込みと言うものは誰でもある訳で。

 ギップルは不意に気が付いてしまった事実に戸惑って眉を寄せた。
 薫り高い珈琲を口に含んだ後に微かに潜められる柳眉。

「…もしかしてさ」

 問い掛けた途端にパインはカップの中を見詰めていた視線を上げて、何度か瞬かせた。
「何?」

「…珈琲嫌いとか言う?」

 先程の事が原因で機嫌が悪いのではなく、要因はその飲み物の方だったのかと。


「別に…」


 何だか何度もその言葉を聞いている気がする。
 本心を誤魔化すような素っ気無い返答。

 無理をして飲ませたい訳ではない。
 好きだと思ったから出したのだ。
 嫌いなら嫌いなのだとはっきり言って貰った方が余程良い。

「ちゃんと言えってば」

 パインは少し怪訝そうな表情を浮かべて微かに首を傾げる。
「飲めない訳じゃないし…」
 それは、好んで飲んでいる訳ではないと言う証明ではないか。
 好きだと思い込んでいた自分の迂闊さにも、何も言わずに飲んでいるパインにも少し腹が立ってきた。

 …もう少し素直に言って欲しいのに。


 少なくとも二人でいる時くらい。


 感情表現が巧い方でない事は分かっている。
 だが、漸く傍にいる事を受け入れてくれて…この距離にいると言うのに。


 これでは今までと何も変わっていない。


 彼女の方は多分…他意はないのだろうが、拒絶に等しい行為だ。

 ギップルは込み上げる苛立ちにも似た気持ちを振り払うように立ち上がると、部屋を出た。
 向かうは厨房だった。

 散々渋られながらも何度も宥めすかした甲斐があって…漸く単身で来る事を決心してくれた彼女。
 お節介な仲間達に、半ば強引にセルシウスから放り出された…とも言えるのだが。

 ここが女性を招くような場所ではない事は充分承知している。
 機械いじりが好きな連中が雑多に暮らしている場所なのだから。
 案の定…詮索好きで好奇心旺盛の連中の揶揄に耐えかねて、帰るとまで言われる始末。
 何とか機嫌を直して貰って部屋に招いたは良いが…まさか出した珈琲が苦手だったとは。





「…おっかしいなあ」

小さくぼやきながら…何か違う飲み物でもないかと厨房を見回していると、くくくっ…と笑い声が耳に飛び込んできた。
振り向いてみると夕食の下ごしらえをしている仲間が必死に笑いを噛み殺している。
[まだ彼女の機嫌…直らないのか?]
[誰のせいだ。…ったく]
 暗にお前達のせいだと含ませて、ギップルは溜息を零した。

 …これで二度と来ないなんて言われたら一生恨んでやる。

[まさか…あの姉ちゃんに手を出すとはねえ。俺はまた…シドんとこのチビ辺りかと思ってたぜ]

 ジョゼには何度か来ているのでここの連中もパインの顔くらいは知っている。
 ベグナガンを追って留守にしている間に、あのカモメ団三人娘に挑戦状を叩きつけたと言うのだから…身内ながら
無謀な連中だと正直思ってしまった。

 そのカモメ団の中でリュックは幼馴染みでもあるし、何かと気安い間柄ではある。
 それを差して言っているのだろう。
[シドの娘?勘弁してくれよ]

 一緒に遊ぶなら恰好の相手だが、とても口説こうとまでは思えない。

[まあ…一筋縄ではいかない女を口説く方がスリリングか]
[それ、パイン先生の前で言うなよ。シメられっぞ]

 ギップルは巨大な貯蔵棚を空けて中を見回しながら幾度目かの溜息をついた。
 目ぼしいモノが見当たらない。

[お前、さっきから何やってんだ?]
[どうやら珈琲が苦手らしくてさ。何かねえかなって…]
[莫迦だなあ。好みも訊かずに出すからだ]


 確かにパインの好みを訊かずに出した。

 彼女が珈琲を好きなのだとばかり思っていたからだ。
 記憶違いでなければ…パインはアカギの訓練の頃に良く飲んでいたはずなのに。


[ここに…そんな気の利いたモノがある訳ねえか]
 酒の部類はある。
 子供の飲むような甘味の強いジュースも。

 だが、前者はパインの土産にはそぐわないし、後者は…それこそ彼女の好みでない事を知っている。

[ジョゼの主が言ってちゃ世話ねえや。…とりあえずミルクと砂糖でも持ってけよ]
 仕方の無い選択だが、これで少しは口にしやすくなるかもしれない。
 ギップルはそう思って砂糖とミルクを持って厨房を出た。




 部屋に戻ると、パインはカップに視線を落としたまま…カップの縁に指先で何度も擦っていた。
 まるで所在無さげな様子だった。


 さながら借りてきた猫状態。


 その仕種すら何となく可愛らしく思えるのは惚れた欲目だろうか。

「ほらっ…」

 ギップルは砂糖とミルクの入った器を食台へと置きながら、声をかけてみる。
 パインは驚いたように顔を上げて、紅玉の瞳を何度も瞬かせて見上げてくる。
 そんなに思いがけない行動だっただろうか。
「…気利かなくて悪かったよ。あんたは何も入れないで飲むクチかと思ってたから」

「何で?」

 そうやって飲んでいる所を何度も見てきたからだ。

「アカギん時にそうやって飲んでただろ?」
 椅子に座りながらそう言うと、パインはまた…戸惑ったように眉を寄せた。

「えっ?」
「夜中に報告書…書きながら珈琲飲んでたから、好きなんだとばかり…」


 アカギの記録係。
 その過酷さは訓練生と差ほど変わりはなかったように思える。
 共に訓練の現場に行き…記録を撮り、終われば報告書を書く。
 訓練とは言え一種戦場のような場所で常に神経を研ぎ澄ませていなければならなかったのはパインも同じだろう。
 こちらは訓練後は唯一の寛ぎの時間ではあったが、彼女だけは何度か夜中までかかって報告書を仕上げていたのを覚えている。


 パインは手の中のカップに視線を落として、小さな苦笑を刷いた。

「眠気覚まし…だったから」

 何度も溜息を付いて…眉間に皺を寄せていたのは、珈琲の苦味を耐えていた顔だったのか。


 新たな発見…と言うべきか、思い込みの訂正と言うべきか。


「なるほどね。別な飲みモンとでも思ったけど、気の利いたもの無くってさ。酒にはまだ早いし…」
 紅玉の瞳が綻ぶ瞬間は何度見ても綺麗だと思う。
「それでも良かったのに」

 それ程多量に飲むタイプではないが、パインも割といけるクチなのだ。
 禁酒令が出ているにも関わらず、アカギの訓練中もこっそりと杯を交わした。
 その点だけはお堅い記録係も目を瞑ってくれていた。

「酒じゃ…折角の土産には合わないだろ?」

 ギップルは可笑しげに笑いを立てると、食台の上に鎮座している、パインの手土産であるクッキーへと手を伸ばす。
 まさかそんな物を持ってくるとは思っていなかったから、顔が緩みっ放しだった。
 訊けばあのユウナさまの手作りだそうで、ジョゼの連中のやっかみと羨望の視線が痛くも心地良くもあった。

「どう?」

 窺うように投げかけられる眼差しにギップルは何度も頷く。
「美味いよ。これ…ホントにユウナ様の手作り?」
「正真正銘…大召喚士様の手作り」
「有り難いねえ…」


 …まあ、俺の為に作ったんじゃねえんだろうけど。

 先日…ブリッツボールの大会で華々しい再デビューを果たした、伝説のガードであり…ユウナ様の麗しの君の為だろう。
 そう言う事をする辺りが普通の女の子らしくて可愛らしい。

 目の前の彼女にそれを求めるには…まだちょっと早過ぎるだろう。
 クールな女の仮面の下には…歳相応の女の子らしい一面もあるのだ。
 彼女が珈琲の中に入れている砂糖みたいに。


 溶け込んでしまえば見た目には分からないけれど…甘くなる。


「やっぱり…苦い」
 味見をするように珈琲を口にしたパインは不満そうに小さくぼやきながら、ミルクを足していく。
 ギップルはその光景にそっと苦笑を刷いた。

 …そう簡単にはいかないか。

 素直に表現してくれただけでも嬉しい進歩なのかもしれない。
 そうやって…ゆっくりと冷たい鎧を溶かしていけたら良いのに。
「今度はお茶でも用意しとく」

 パインは再度味見をしようとしていた手を止めて、柳眉を寄せていく。
「でも…あんたは珈琲が好きなんだろ?」

 自分の恋人が好みではないモノを出す奴がどこにいると言うのだ。

「莫迦だな。しかめっ面しながら我慢して、俺に合わせる必要はねえんだって」
「それを言うなら…あんたが私に合わせる必要も無いと言う事だろう?」

 ギップルは思わず頭を抱えたくなった。
 もしかしたら…こいつは相当手ごわい相手なのかもしれない。

 …まあ、惚れた弱みって言うかさ…。

 挫けてしまいそうな気を取り直す為に吐息を一つ付いてみる。

「俺は何でも平気だから無理でも何でもねえの」
「口に入れば何でも良い性質だしな」

 皮肉めいた答えだったが、どうやら了承は貰えたらしい。


 甘えも素直さも足りないビターにどうやって教えてやろう。
 その匙加減が難しい。


 なんと言っても照れ屋で素っ気無い彼女だ。

 ギップルはそっと肩を竦めて、有り難いクッキーを口の中に放り込んだ。


 これくらい甘くなるのはまだまだ先だろう。





お題40・ブラックコーヒーのギップルサイド。ギップルが…パインが思っている程、懐が広い訳ではない事がバレバレ(苦笑)
追筆の後書き…こちらも、どこが変ったか分からないくらいの改訂をしてみました。
ホントは大幅に書き直したかったけれどね(溜息)
お題13・砂糖とミルク:20041125(改訂20050626)シアーズ