１２・言の葉
この時期のベベルは寒い。
スピラでもかなり北に位置しているから当然だ。
だが、この部屋には暖を入れていると分かるのに外気温より寒い気がした。
這い上がってくる冷気が足を縫い止める。
ダチと一緒に一足先にセルシウスへ帰れば良かったかと後悔すら過ぎった。
「やあ、ギップル。今回はとんだ災難だったみたいだね」
部屋に入るなり顔を強張らせたまま棒立ちになっていたギップルに声をかけたのは、ここの主だ。
漂う雰囲気くらい分かっているだろうに、にこやかな笑みを浮かべる辺りやはり食わせ者なのだろうか。
だが、ギップルはバラライの事など見てはいない。
もう、一点から目が離せない状態だ。
「ま、まあな」
「見ての通り、先程から姫君がお待ちかねでね」
「そ、そうみたいだな」
心なしか声が上擦っているのは気のせいではないだろう。
「奥の部屋を貸してあげる。僕達は何が聞こえても関知しないから安心して」
ねっ？と同意を求めるように琥珀色の瞳がリュックへと向けられる。
突然そんな事を言われても困る。
リュックはちらちらと三人を窺って、最終的に胸の中だけでギップルに謝る事にした。
恐々頷きを返すと、バラライは満足そうに笑みを浮かべた。
この人は最初からそのつもりでパインを捕まえていたらしい。
やっぱりタダ者ではない。
非難めいたギップルの視線が飛んできたが、ここは気が付かないフリが賢明だ。
パインは表情も変えず無言のまま執務室の続き間に入っていく。
ギップルはこわーい想像が渦巻いているのか、力無く肩を落として大きく溜息を付いた。
そして、扉が閉じられた。
途端に冷気が和らいだように感じたのは、自分だけではなかったらしい。
計らずとも重なった深い吐息。
思わず顔を見合わせて苦笑を交し合った。
「温かいお茶でも淹れますから、待っててあげて下さい」
「あ、うん。そうするよ」
促されたリュックは先程までパインが座っていたソファに腰を下ろした。
テーブルには一口も飲んでいないであろう、すっかり冷めてしまったお茶。
それはまるで、ここで待っていたパインの様子を語っているかのようだった。
・・・・・・・・・・
眼差しの奥からじわりじわりと滲み出てくる感情。
すうっと細まっていく瞳に見据えられて、嫌な汗が噴き出てきた。
「こ、今回は悪かったな。手間取らせて」
表情も変えず、黙ったままパインはこちらを見詰めたまま動かない。
ガツーン、ドッカーンと怒りにまかせてシメられ方が気分的に楽なんじゃないかと思ったり。
何もされていないのに、何だか真綿で首を締められているような感じだ。
「怒ってるんだよな？」
問いかけに、パインは軽く小首を傾げるような仕種をしたが、それでも無言のまま見詰めてくる。
問いに対する回答を考えていると言うよりは、どうやって落とし前を付けて貰おうかと思案しているように思える。
形良い唇から零れ落ちたのは、空恐ろしい平坦な声だった。
「何故だ？」
何を問われているのか飲み込めずに瞳を幾度か瞬かせると、抑揚の無い響きが更に問いた。
「・・・理由は何だ？」
この顛末の原因は何かと言われているのだと分かって、ギップルはそっと苦笑を返した。
「その、まあ、成り行きでさ」
その瞬間、緋色の瞳に剣呑な色が発火し、微塵の容赦も無い拳が腹を抉った。
呼吸どころか心臓まで止まりそうな一撃だった。
痛いなんてもんじゃない。四肢の先まで痺れる程の激痛が襲う。
体がくの字に折れ曲がり、膝が床に落ちた。
内臓物までもが口から出てきてしまいそうで、思わず咳き込んだ。
この人が恐ろしいのは的確に急所を突いてくるところだと久々に思い出した。
「私がそんな答えを求めてるとでも？」
冷ややかな声が降ってくる。
怒っているのだと一聞分かる声に、何故か逆に安堵していた。
パインはどうでも良い相手であったら歯牙にもかけない。
怒りを覚えるだけの感情が自分に向けられているのだと分かるから。
「容赦ねえなあ」
漸く搾り出した声に、パインは何ら揺さ振られはしなかったらしい。
「質問に答えろ。何故だ？」
「だから、成り行きだってば。別に好き好んで騒ぎを起こした訳じゃねえよ」
「どうだか」
「あのなあ。俺は絡まれた方なんだぞ？」
「だったら、何故？」
語調強く問われた事で、彼女が真に問いたい意味が分かった。
本当に訊きたいのは騒ぎの理由ではない。
何故、半ば被害者であるはず自分が拘束されたのかだ。
ギップルは軽く肩を竦めて答えた。
解放される時になって、衛兵長が取って付けたように言い訳をした言葉通りに。
「喧嘩は両成敗なんだってさ」
「ギップル！」
噴出した怒りが凄まじい火花と成って弾け散った。
「そう言う事にしておけって」
険しいままの顔に向けて小さく苦笑した瞬間、彼女は初めて揺らぎを見せた。
言葉が無くても伝わった瞬間だった。
いや、彼女はどこかで予期していたに違いない。
だけど、それを認めたくはなかったのだろう。
パインはそうでは無い答えがどうしても欲しかったのだ。
俺を悪者にしてでも。
憂いにも憤りにも似た色に染まった眼差しが、震えた。
「どうして・・・」
ただ一言。
力無く掠れた声がそう呟いた。
・・・・・・・・・
「大丈夫かなあ」
湯気立つお茶を飲みながら扉の向こうを窺っていた客人が小さな呟きを零す。
「まあ、二、三発殴られてるかもしれませんね」
走らせているペンをそのままに相槌を打つと、苦笑めいた響きが返ってきた。
「違う。パインの方だよ」
「ギップルじゃなく？」
バラライが書類から顔を上げて視線を向けると、リュックは茶目っ気たっぷりに肩を竦める仕種をした。
「あいつは自業自得。なんでしょ？」
彼女の見た目や雰囲気に騙されていた事に気が付いた。
その言葉にある含みを汲み取れないほど鈍感ではないつもりだ。
目の前にいる少女は全てを理解してはいなくても、察してはいるらしい。
憤りさえ覚えた理不尽な事実を。
そして、思いの外自然に受け流している。
風を受けても倒れない、しなやかな葦のように。
こんな事は慣れている。などと言われてしまったら、遣る瀬無い気分になりそうだ。
「ついでに僕の心配もしてくれませんか？」
一瞬、大きな翡翠色の瞳がきょとんと見開かれ、やがて彼女は小首を傾げた。
意味が飲み込めなかったのかと思いきや、そうではなかったらしい。
「何であたしが。ギチョーだって、えっと何て言うんだけ？そうそう、カントク不行き届きってヤツでしょ？」
「今回の事は僕の仕事の管轄外ですよ」
「そうなの？」
「そうですよ。でも、パインがそれを理解してくれるかどうか」
大袈裟に溜息を付いてみせると、リュックはクスクスと愉しげに笑いを立てた。
だが、その笑みをふと引っ込めてそっと息を付いた。
「パインはちゃんと分かってるよ。でも、色んな気持ちがゴチャゴチャになってて怒るしか出来なくなっちゃってると思うんだ」
「色んな気持ち？心配とか、不安とか？」
「それもあるだろうけど、あたしは落胆ってのもある気がするんだよねえ」
彼女は独り言のようにそう言って、女の子特有の含みのある微苦笑を浮かべた口許へカップを運ぶ。
どうやらその続きを教えては貰えないらしい。
静寂が戻った部屋。
口にはしなくても互いに期待と願望を語る。
やがて扉が開いて、いつもの二人が現れるのを。
終
メイン二人そっちのけで…ほのぼのバラ×リュ。意外とこの組み合わせも楽しいかも（え？）
お題12・言の葉：２００５１１１３：シアーズ