１１.愛してる？


　キンッと、高音の涼やかな金属音が弾けた。
　キャップを跳ね上げた指でホイールを回すと、薄明かりの部屋に灯火が浮かび上がる。
　咥えた煙草の先に赤い揺らめきを近づけて火を付けようとした瞬間、微かな呻きが耳を打った。
　ギップルは寄りかかっていた寝台の上を振り返り、様子を窺ってみる。

　今のところ起きる気配はない。

　煙草を咥えたままの唇に苦笑を刷いて、ギップルは改めて火を付けた。

　ライターの炎の明かりに浮かび上がるは、艶かしいまでに白い肌。
　ケットからはみ出している…しなやかな肢体を目で追いながら、響きを殺してキャップを落とす。
　手の中の篭った音と共に、部屋はマキナランプの薄明かりの世界へと戻った。

　聞こえるのは繰り返される寝息。

　紫煙をくゆらせながら、余韻の熱と気だるさに酔う。
　ぼんやりと曖昧な思考を広げながら、ギップルはゆっくりと息を吹き出した。



　ゆらりゆらりと半透明の影が漂っていく。



　不意に寝台のスプリングが微かに軋む音がしたかと思うと、モソモソと動く気配がした。
　再び振り向いてみると、先程より塊が小さくなっている。

　・・・やっぱり、癖なんだな。

　パインは肢体を縮込ませて、丸くなって眠る事が多い。
　とても窮屈そうなのに気にならないらしい。

　ギップルは空いた手を伸ばして、指先で頬にかかる髪を優しく払い、そっと撫で付けた。
　小さな刺激にパインは小さく身を竦ませて、微かに眉を寄せる。
　長い睫が震えて閉じていた瞼がうっすらと開いた。
　起こすつもりはなかったのに、相変わらず感覚が鋭い。

「悪い。起こしたか？」

　薄目のままの曖昧な眼差しが二三度瞬いただけで回答はない。

「・・・パイン？」

　再び満ちてきた眠りに逆らえなかったのか、微かに潤みを帯びた瞳がゆっくりと閉ざされた。
　そして、これ以上触れられる事を拒むかのように…更に身体を丸めていく。
　まるで殻の中に閉じ篭もるかのように。

　物悲しさにも苦さにも似た感情が込み上げるのと、指に熱を感じたのは同時だっただろう。
　目をやれば、危うい均衡で形を保っている…煙草であった灰が指に迫っていた。
　ギップルは灰皿を取り上げて、何とかバランスを失わせずに済んだ灰を煙草ごとねじ込んだ。

　突いて出たのは苦味を帯びた溜息。



　時々思うのだ。



　まるで何かに怯えているみたいだ・・・と。
　感覚が鋭いのも、体を丸めて眠るのも、そんな理由なのではないだろうか。



　・・・どんな生き方をしていたのか。

　パインは何より過去に触れられる事を厭う。
　気が付かない間にその領域に踏み込んだ瞬間…拒絶と言う防御壁が立ち塞がる。

　隠されれば知りたいと思うのが心情だろう。
　でも、その代償に嫌われる。なんて結末は遠慮したい。

　ギップルは額を擽る降りた前髪を掻き揚げながら天井を仰ぎ、そっと息を吐き出した。
　遣る瀬無さと言うのはこう言う感情を指すのだろうか。

　パインの剥き出しの脚に引き攣れたような小さな傷跡がある。
　それ一つだけではない。
　薄く残る彼女自身に刻まれた過去。
　どこにどんな傷があるのか、もう全部知っている。
　きめ細かい綺麗な肌をしているから余計に目に付く。
　触れていれば尚の事。

　冗談めかして傷跡を指摘した事はあるが、本人は至って気にしていない様子。
　それどころか、人の事が言えるのかと一蹴される始末。
　まあ、綺麗な肌なのに勿体無いとは思うが、そんな男心など…理解しては貰えないだろう。

　それは正しくあの時代を「生き抜いてきた」者の証なのだから。



　ただ、思うのだ。



　ここには害するモノなど何も在りはしないのに…と。
　もう少し気を緩めて、心穏やかに眠れる場所であれたら良いのに。


　空けてくれている寝台上の空間に潜り込むと、ギップルは窮屈そうに眠るパインの頬を指先でそっと撫でてみる。

「なあ、もうちょっと信用しろよ」

　パインの事だから、顔を顰めて疑わしげな目で見るかもしれない。
　一番油断ならない。なんて、痛烈な皮肉付きで。
　ギップルは己が少し後ろ向きな思考に囚われている事に気が付いて、そっと苦笑を漏らした。

　小さく身を震わせて、不満そうに寄る眉根。
　触れるモノが何か誰何するように、無機質な赤い色がうっすらと現れる。
　長い睫が幾度か震えた。


「な、に？」


　誘うように薄く開いた唇が、甘い響きを帯びた声をたどたどしく紡ぐ。
　纏っていた透明な色がほんのりと色づいて見えるのは、欲目と願望故か。
　でも、かなり気だるそうな様子に、今夜これ以上触れるのも憚れる。

「何もねえよ」

　ギップルは体を丸めている分…少し遠い背中に腕を伸ばし、赤子を寝かしつけるように軽く叩いてみた。



　ホッとしたように微かに綻んだ口許。
　パインは折っていた脚をゆるゆると伸ばして、腕の中に潜り込んでくるように体を摺り寄せてくる。



　・・・えっ？



　その動きを目で追いながら身動きが出来なかった。
　驚きに侵食された思考が正常に戻り始めた時には、既にパインは瞼を落としていた。

　あまりにも無防備に体を預けてくる姿に、感動にも似た感情が込み上げる。
　思わず口許が緩んでしまった。
　それは情や欲には程遠い。
　でも、言葉も無く、意識的な行為も無く…彼女は伝えてくれた。

　たった一つの明確な答えを。


　腕の中で聞こえるは、心地良さそうに繰り返される寝息。



終



閨話…って感じでしょうか？
相手が知らないところでの「思考」…ってのは、ネタが尽きませんねえ（苦笑）
お題１１・愛してる？・：２００５０７２２：シアーズ