１００・プロポーズ
何の冗談だ？と、思ったのは一瞬。
次に、冗談にしてはかなり性質が悪くて酷過ぎると浮かんだ。
だが、思考が一回転した辺りでパインが困ったように苦笑を浮かべたのを見て、それが事実なのだと認識した。
その瞬間、口惜しさが胸の中に満ちた。
マセたお子様のプロポーズにパインが何と答えたのか、教えては貰えなかった。
だが、どこか悪戯っぽく微笑んだ辺り、それを受ける気がない事は窺い知れた。
軽い安堵は覚えたが、何となくモヤモヤした気分に飲み込まれたままだ。
時折ふと思い描く、今の先にある時間の願望満載の予想図。
だが、それを一度もパインに告げた事はない。
二人の関係のルールに無かった項目だった。
そんな話を持ち込むのは早過ぎると思っていたからだ。
ただでさえ照れ屋で、素っ気無くて、甘えベタな彼女なのだ。
妙な意識でもされたら更に拍車がかかる気がしていたと言うのに。
気を使ったつもりなのに、結果、不覚を取ってしまうとは。
オマケに、気を取られて装置の調整を何度もミスったせいで悶々とした気分に拍車がかかった。
冗談めかして告げてしまおうかとも思った。
でも、そんな発想をする自体格好悪いと判断して慌てて飲み込んだ。
事実を知った直後に、焦って口にする類の内容ではない。
胸の中で大事にひっそりと温めてきた想いなのだから。
思わず、何度目か分からない溜息が突いて出た。
『ギップル？』
聞き慣れたはずの男の声が一瞬誰だか分からなかった。
訝しげに名を呼ぶ声は対峙している装置からだだった。
宙を飛んでいた思考を掻き集めて顔を上げると、モニター越しに琥珀色の瞳とかち合った。
「あ、れ？」
『コールしておいて、あれ？って何さ。失礼だな』
不満そうに顔を顰めたのはバラライ。
調整具合を確認する為に、彼の執務室にある通信スフィアをコールしていた事を思い出した。
「あぁ、悪い。今、ガガゼトの装置の調整中なんだ。どんな感じ？」
「忙しいこの僕をテストに使おうなんていい度胸だね」
バラライは片眉を器用に上げたが、回線状況は良好のようだよと添えてくれた。
「そっか、まあ今の段階ならベベルとの通信状態がまともなら支障はねえな」
微妙なニュアンスを嗅ぎ取ったのか、バラライは書類に通し始めていた視線を軽く投げてくる。
『何か手違いでも？』
「俺の計算ではルカまで届くはずだったんだけど、ミヘン街道の途中まででさ」
今回の装置は元々あった長距離回線・・・ホットラインの応用だ。
だが、一度に複数の通信を開く事を可能にした為か通信範囲が狭まってしまったらしい。
『って事は、中継機を飛ばすのはベベルと幻光河の二箇所かい？』
「そう言う事になるな」
『費用は予算内で頼むよ。ウチにはこれ以上出せる余裕なんて無いんだからね』
「分かってるさ」
こんな代物に多額の金を注ぎ込む余裕が無いはどこも同じだ。
これが成功すればもっと違う展望が拓けるのだが、それを今語っても空言にしか聞こえないだろう。
『ところで、パインはどうしてるんだい？』
バラライしては珍しく単刀直入に訊いてくる。
だが、道案内をカモメ団に依頼したとは教えたが、同行者がパインになったと告げた覚えはない。
返答を窮した微妙な間をどう読み取ったのか、彼はちょっと得意そうに笑った。
『あの子が教えてくれたんだよ』
ただでさえヘコみ気味なのに更に押し潰された。
ギップルは溜息が零れ落ちるのを止められなかった。
「その辺にいるだろうけど。何か用か？」
『下山したらここに寄って欲しいなって思ったんだけど』
パインの言うところの物好きであり、俺が思うところのライバルが結構多くてホント困る。
その筆頭がこいつだ。
「何の用でだよ？」
警戒心剥き出しに問い返すと、ニコリと笑われた。
『勿論、僕が会いたいからに決まってるでしょ？』
一応は恋人の立場である俺に向かって、しゃあしゃあと言うのだから堪ったもんじゃない。
「あんたなあ」
脱力したのを眺めて満足したらしく、彼はどこか愉しげに冗談だよと肩を竦めた。
今はこの手の冗談を冗談と受け取れる余裕がないと言うのに。
『時間が許すなら帰りに寄ってよ。二人揃ってで、構わないからさ』
「どうせ俺はオマケなんだろ？」
『あれ？珍しく卑屈だね。もしかして喧嘩中とか？』
・・・嬉々として言うな。莫迦。
「別にそんなんじゃねえよ」
『僕は君たちの仲に口を出すつもりはないけど、あの子を悲しませるのだけは止めてよね』
悲しい目に遭っているのは俺の方だと口まで出掛かったが、喜ばせてやる必要はないと思い直した。
「あんたに言われるまでもねえよ」
ギップルはいつものように皮肉っぽく苦笑して答え、少々の他愛の無い話と軽い挨拶を交わして通信を切った。
苦笑めいた溜息が一つ。
バラライと話をしていて、不意に思い出した事があった。
あれは確か、パインが凄まじい怒りを炸裂させて店を飛び出していった時の事だ。
まだ宙ぶらりんの関係だった頃。
今でこそ笑い話にでもなるかもしれない…彼女を巡っての諍いだった。
その時にあの男が言った台詞だ。
『先に好きだと言ったからって、優先権がある訳じゃないよ』
先手を取られた立場の男の主張が、今の自分の慰めになるとは…些か情けない気もするが。
確かにその通りだと、今更ながら妙に納得していたりする。
惚れた弱みってヤツはいつまでも付いて回る。
決定権を握っているのは相変わらず彼女なのだ。
負けず嫌いの気質が馬鹿げた対抗心を少々刺激してくれたが、別に焦る必要はない。
そこに辿りつくまでに、積み重ねていかなければならないモノが沢山あるのだ。
緻密で繊細なマキナを完成させるように。
今回のように計算が狂う事だってあるだろう。
嵌め込んだパーツがとんでもない結果を齎す事だってある。
強情で頑なな彼女の事だ。
一発で素直に了承してくれるとは限らない。
だからと言ってそう簡単に諦めてしまうつもりはない。
往生際が悪いのが性分なのだ。
ギップルは完成した装置に指先を滑らせて、耐え切れなかった笑いを小さく零した。
その時は「こんな男に惚れられたのが運のつき」と、彼女に諦めて貰う事にしよう。
直ぐでも無く、そう遠くは無い。その時。
終
一応、肩透かしな展開…ってヤツを狙ってみた。どうやら私は、ギプを一度ヘコませるのが好きなようなので（苦笑）
だからってこんなお題の使い方して良かったのかしらあ？え〜、石は投げないで下さいね。
お題100・プロポーズ：２００５１００３：シアーズ