０８・大好き
見上げたそこには今にも零れ落ちそうな満天の星。
仄かな月明かりを纏いガガゼトの峰が暗中に濃いシルエットを描いていた。
溢れた吐息が容を伴って宙に舞い上がる。
厚手の毛織の外套を着てはいたが、そんな物では役には立たない寒さだ。
パインは気休めにと、手にしていたカップを口に運ぶ。
それほど時間は経っていないと言うのに、先程まで湯気を湛えていたそれはひんやりとしていた。
それでも、体の中がじんわりと温かくなる。
底冷えの寒さではいくら飲んでも酔うに酔えない感じがする。そう思った。
「戻った方が良い」
突然聴覚が捉えた声に緊張が走った。
反射的に手にしていたカップを投げつけてしまうかと思ったくらいだ。
本能を理性で抑え込んで何とか振り返ったそこには、ロンゾの少年がいた。
こちらの反応に驚いたのか、彼の足はぴたりと止まる。
パインは苦笑と共に息を吐き出した。
もしかしたら少し酔い始めているのかもしれない。
「何か用か？」
「小さな体では直ぐに芯まで凍える」
ぶっきらぼうな口調だが、どうやら心配をしてくれているらしい。
「そうだな」
パインは肩を竦めて応えると、外套の襟元を掻き合わせながら歩き出した。
オレグの傍をすり抜けようとしたが、彼の片手に制される。
足を止めて窺うと、オレグは敷布のようなものを広げて肩からかけてくれた。
しかも、毛織ではなく柔らかそうな毛皮の…だ。
「・・・ありがと」
「そ、その、凍えてしまうから・・・」
表情の分かり難い面差しだが、照れ臭そうにしているのは窺えた。
これはもしかして、そう言う意味の優しさなのだろうか。
「あのさ、オレグ。私はあんたのお嫁さんになるつもりはないんだけど・・・」
少々ストレート過ぎたかと後悔したのは、彼が小さく項垂れたからだ。
こんな時、どんな風に言ったら良いのか分からない。
少なからず好意を持ってくれている相手を傷つけないようにする事すら出来ないなんて、自分が情けなくなる。
でも、それが私なのだ。
オレグが私にどんな幻想を抱いているのかは知らない。
でも、それは私ではない。
彼が見ているのは表面を覆っている殻のほんの一部に過ぎないのだから。
私は決して強くもなければ、優しくもない。
そんな綺麗な生き物なんかじゃないのだ。
「駄目、か？」
「前にも言っただろ？私には、一緒にいたい人がいるって」
「あのアルベドはちっとも強そうに見えないのに・・・」
ロンゾの基準からすればあの男は小柄に思えるだろうし、体を使った格闘より銃器を用いた戦闘の方が得意な方だ。
それに、あの飄々とした彼独特のスタンスは、ロンゾにはなかなか理解出来ないところかもしれない。
でも、違うのだ。
彼の強さは。
「強いよ。私なんかよりずっと」
「そうは見えない」
「あいつが持っているのは見えない強さだから」
だから惹かれた。
だから甘えてしまいたくなる。
だから、時々・・・怖くなる。
「それは心が強いと言う事か？」
「簡単に言えばな」
オレグは難しそうな顔をして首を傾げ低く唸った。
「パインよりもか？」
「ああ。だから私には・・・あいつが必要なんだ」
何故だろう。
気負いも照れも無くするりと素直に零れ落ちた。
この想いに向き合うと胸がいっぱいになる。
何と呼ぶべき感情かは知らない。
思い描いていたふわふわとした柔らかな恋でも、胸を焦がすような愛でもない。
でも・・・
胸が痛いくらいに。
切ないほどに。
溢れた想いに何かが弾け、胸の奥から咽び上がってくる。
「パイン」
微かに動揺を響かせたオレグの声に、私は頬を伝ったモノに初めて気が付いた。
驚きと戸惑いを覚えたのは彼だけではない。
私自身もそうだった。
パインは伝う涙を手のひらで拭い、バツの悪さを小さく苦笑に零した。
「ごめん」
「オレグが泣かせたか？」
「違うよ。オレグは悪くない」
「でも・・・」
金色の瞳がどこか心配そうに見詰めている。
その眼差しにそっと笑いかけて、ゆっくりと歩き出す。
「ちょっと酔ってるみたい。もう戻ろう」
あの傍らへ戻るまでに涙が乾くようにゆっくりと。
凍えた風がそっと頬を撫でた。
沁みる寒さが無意識のうちに身を竦ませる。
ただ、掻き抱いた胸の奥だけがほんのりと温かいままだ。
それは、満ちた想いが残した跡なのかもしれない。
言葉にならなくても。
カタチにならずとも。
綺麗な感情でなくても。
利己的で自分勝手な想いかもしれなくても。
でも確かに、それが私の中に在る証。
終
多分、ギプなら簡単に「大好き」と結論付けると思う。
だからこのお題は敢てパイン視点で…と思ったのは、私が捻くれているからでしょうか？
お題０８・大好き：２００５１０１４：シアーズ