０３・なにげない幸せ



「パインはこの後どうするの？すぐに帰る？」
　前菜にと出されたサラダを突いていたパインは、手を止めてこちらを振り向いた。

「言っておくけど、キーリカには行かないからな」

「まだ、何も言ってないけど？」
「暫く図書館にいるって答えたら、態々書類持ってやって来たのは誰だ？」

　態々、のところをかなり強調された。
　非難めいた、ちょっと痛い視線をバラライは肩を竦めて受け流す。

「文句言いながらも、ちゃんと運んでくれるんだもん。パインって優しいよね」

　スピラの北と南。
　通信スフィアで話は出来るようにはなったものの、書類のやり取りをするには困難な距離。
　そこにフットワークの軽いカモメ団の一員がいたのだから、頼まないなんて勿体無い。
　益してや他の誰でもない、パインがいたのだから。

「仮は返した。もうやらない」

「じゃあ、今度は依頼でお願いするよ。カモメ団さんはどこに行くのかな？」
「キーリカじゃない事は確かだ」

　パインは容赦無く言い放ち、サラダに入っていたトマトをフォークで突き刺した。

「ヌージの奴、そろそろ戻って来るって言ってなかったか？」

　ペロリと前菜を平らげたギップルの余計な一言に緋色の睨みが飛んだ。

「キノコ岩でもない」
「俺に怒んなよ」

　ギップルは苦笑を漏らしながら、的はあっちと、こちらを指差してくる。

「まあ、依頼は別として直ぐに発つの？」
　パインはまだ少し疑わしそうな顔をしていたが、ややあって口を開いた。

「スフィアの情報も無いし、小遣い稼ぎにビーカネルに行こうかって話になってるんだけど・・・」

　彼女の口から出た地名にギップルを窺えば、嬉しさが半分…顔に出そうになっている。
　ギップルもこれからビーカネルに向かう予定だった。
　言葉尻を濁した様子に、パインがそれに乗り気でない事は直ぐに分かった。

「行きたくないの？」
「そうじゃなくて。あの図書館、もう直ぐ閉館するだろ？」
「うん。今月末にはね。それがどうかした？」

　今、各地から集めたスフィアや書物を自由に閲覧出来る施設を新たに建造している。
　エボンは何かと秘密が多いと、未だに巷で囁かれている事への打開策だ。
　そんな幼稚な手で万民が納得するとは思っていないけれど。
　その新たな「資料館」へ移転準備作業に入る為に、図書館は暫く出入り出来なくなる。

「人も少ないから作業も捗るし、今のうちに集めるだけ集めておきたいと思って」
「お小遣い稼ぐより、作業を進めたいって事？」
「まあね。次はいつ来られるのか分からないし、皆が戻ってくるまでベベルにいようかなって」
　パインは微苦笑を刷いて、そっと肩を竦めた。

　再び、窺ってみれば、不貞腐れが半分顔に出ていた。
　何ともまあ、恨めしそうな眼差し。
　いつもは呆れる程の自信家のギップルも、パインの事が絡むと余裕も無いらしい。

「だったら、泊まる部屋用意しようか？」
「やっぱり伝書鳩させる気？」

　パインはあからさまに顔を顰めると、疑わしそうな視線を向けてくる。

「友人の好意をそう疑うもんじゃないよ？」
「腹黒い策士の好意を疑わずしてどうする」
「これは純粋な好意だって。この辺りって結構宿代高いんだよ」
「それは知ってるけど」

　小さく呟いた後、パインは少し悩んだように眉根を寄せた。
　泳がせた視線の先にあった不満そうな顔に気が付いたらしく、緋色の瞳が不思議そうに幾度か瞬いた。
　ギップルの気持ちを知っている者であるならば、この状況下のその顔の理由くらい直ぐに分かるはずだ。
　だと言うのに、パインはその不満そうな顔の意味が全く分からなかったらしい。

　・・・疎いって言うか、何と言うか。

　自分の想い人が目の前で他の男の誘いに乗りそうになっていて、笑っていられる奴などそういるはずもない。
　それは同時に、ギップルがまだ面と向かってやめろと言えない立場である事が証明でもあった。


「勿論タダとは言わないよ。ここから近くて、相場の半額でどう？」
「それはちょっと魅力的」
　パインは心が揺らいだようで、真剣な面持ちで考え始めた。

　ベベルの街は階層構造になっている。
　それは頂上にベベル宮があった名残。
　街の有力者や大商人がその周辺に屋敷を構え、海に一番近い下町は所謂一般市民が住んでいる。
　それに伴って、同じ街であっても物価の格差がある程だ。
　下町の宿の価格で党本部近くに泊まれるとあれば、さすがのパインも迷うところだろう。

「でしょ？ねえ、ギップルも明日の便にして、泊まっていったら？」
「そう言う訳にはいかねえの」

　完全に剥れたような投げやりな答え。
　彼も立場上優先しなければならない事を放り出すような子供ではない。
　たとえ、どんなに彼女の事が気になっていても。

「何だ。残念だな」

　・・・もうちょっと遊べると思ったのに。

　心の声を深く沈めてパインに同意を求めると、彼女は曖昧に頷きを返してくる。
　ほんの少しホッとしているのが窺えた。
　さぞ、ギップルは内心歯噛みしている事だろう。

　仲間の域さえ踏み越えなければ、ふらりと近づいてくる猫。
　自分はただ、ここで待っているだけでいい。
　やって来た猫に温めたミルクを差し出してやるだけ。
　ずっといて欲しいだとか、飼い慣らそうだなんて望まない。
　手を伸ばした瞬間に逃げられてしまうから。
　傍まで来て、差し出したミルクを飲んでくれるのを眺めているだけで良い。


　それが僕と猫の最短距離。
　多分それは、今の彼よりもずっと近いはずだ。


終


なにげない幸せと言うより…ささやかな優越感ってヤツなのかも。
お題03・なにげない幸せ：２００５０２２７：シアーズ